※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(日本協会強化委員長・栄和人)
前回記事(新たな応援のスタイルを生み出したネット中継)
第9回「審判の真剣さとき然さが、日本レスリング界を支える」
プロ野球に関心のある人なら、ソフトバンクと阪神で争われた今年の日本シリーズの最後が、意外な結末だったことを知っていると思います。ソフトバンクが勝てば日本一となる試合で、阪神が1点を追う九回一死満塁の場面。西岡の打った打球は一塁ゴロ。一塁手が取って本塁へ送球し、三塁走者がアウト。捕手はそのボールを一塁に投げ、ダブルプレーを狙いました。
日本シリーズの最後の場面(You tube) |
この送球が一塁を目指して走っていた西岡の左手に当たり、打球は転々。二塁走者が本塁に滑り込み、阪神が同点に追いついたと思われました。しかし、審判は西岡の守備妨害を宣告して試合終了。阪神・和田監督の猛抗議と阪神ファンの怒号の中で、ソフトバンクが日本一に輝きました。
西岡がラインの内側(フェアグラウンド内)を走り、捕手からの送球を妨害したという判断でした。新聞で専門家の話を読む限り、守備妨害を取られるのは当然という走りだったようです。
日本一を決める試合のヤマ場で、審判はよくこうした冷静な判断ができたものだと感心しました。守備妨害を宣言した白井一行球審は、審判歴18年目にして日本シリーズ初出場の審判だったとのことです。だてに18年をすごしていたわけではありません。日の当たらない場所で着実に実力をつけた結果の判断だったと思います。
日本シリーズに出場できるのは限られたエリート選手ですが、それは審判も同じです。二軍戦に始まり、審判としての実力を認められてから一軍に引き上げられます。日本シリーズやオールスターといった大舞台に立てるのは、そこから数年、場合によっては10年以上の歳月がかかります。
白井審判は高校時代、野球部の補欠選手でした。高校野球連盟から審判のオファーを受け、監督から「やるならプロを目指しなさい」という言葉で、高校野球ではなくプロ野球の審判を志し、19歳でこの道に入ったそうです。NHKで、日の当たらない場所で努力を続けた末に脚光を浴びた人を取り上げる「プロジェクトX」という番組がありましたが、そこに登場させたいようなストーリーでした。
■レスリングの審判は全員がボランティア、年間100日近く家を空ける場合も
このことはレスリングの審判にも当てはまります。レスリングの場合、国内のC級審判に始まり、B級、A級と上がり、その中で技術を認められて選ばれた審判が全日本選手権の審判に指名されます。世界を目指す審判は国際の審判資格へ挑みます。 ロンドン・オリンピックを裁いた審判員。世界から選ばれたエリートだ=提供・斎藤修審判委員長
審判は、「正しく判定して当りまえ、少しでも間違ったら(間違わなくとも、選手サイドのルール無知によって)非難ごうごう」という割の合わない役割です。よく、問題となった試合をビデオで見て、「なんで、あんな判定になるんだ」と審判のジャッジを非難する人がいますが、“このあと微妙な判定がある”と分かってビデオを見ることと、何か起こるか分からない真剣勝負の闘いの中で、瞬時に判定することとは、まったく違います。
問題の場面が死角になっている場合もあるでしょう。「ビデオを見て判断したい」と思うシーンもあるでしょう。それでも瞬時に判断を下さなければならないのです。前述の白井球審の行動と判断は、状況に応じた審判の正しい立ち位置やルール熟知があったからであり、18年間の努力のなせる業だと思います。
プロ野球の審判は、ベテランになれば年収1000万円を超えるプロです(1年ごとの契約なので、身分保障はないそうです)。サッカーのJリーグは、スタート時は全員がアマチュアでしたが、現在はプロとアマの審判が混ざって試合を裁いています。プロ審判の場合、年収は2000~3000万円。そうでないアマ審判は1試合を裁くごとに6~12万円の日当で、「副業」と言っても差し支えありません。
対して、レスリングにプロの審判はいません。全員がボランティアです。家庭や職場に気がねしつつ、大会会場に駆けつけてくれます。国内A級にして国際審判の場合は、日帰りを含めて年間100日近く、家を空けるケースもあるそうです。その根底にあるのは、レスリングへの愛情にほかなりません。その情熱と行動に、この場を借りて深い感謝の気持ちを伝えたいと思います。
■戦後のオリンピックの参加審判員 | ||
年 | 大会 | 参 加 審 判 員 |
2012年 | ロンドン | 斎藤修、芦田隆治 |
2008年 | 北 京 | 斎藤修、芦田隆治 |
2004年 | アテネ | 内藤可三、福田耕治 |
2000年 | シドニー | 内藤可三、福田耕治 |
1996年 | アトランタ | 富岡三千男、加藤和三 |
1992年 | バルセロナ | 伴義孝、富岡三千男 |
1988年 | ソウル | 東俊光、沼尻直、伴義孝、富岡三千男 |
1984年 | ロサンゼルス | 東俊光、沼尻直、伴義孝 |
1980年 | モスクワ | (田口美智留、東俊光、 沼尻直、伴義孝)=不参加 |
1976年 | モントリオール | 田口美智留、東俊光、 沼尻直、伴義孝 |
1972年 | ミュンヘン | 田口美智留、東俊光 |
1968年 | メキシコ | 西出武 |
1964年 | 東 京 | 西出武、猪狩則男、 沼尻直、東俊光 |
1960年 | ローマ | 西出武、猪狩則男、林真、風間栄一、東俊光 |
1956年 | メルボルン | 西出武、猪狩則男、林真、三條國雄 |
1952年 | ヘルシンキ | 八田一朗 |
■審判の真剣さがあればこそ、選手も真剣に闘える
同時に、ボランティアであっても、やる以上は技術向上に力を入れ、ルールを熟知してほしいと思います。どんな場面でも、ルールブックの条文をもって対処できるようになり、1試合ごとに仕事と同じだけの真剣さをもって裁いていただきたいと思います。
審判にとっては、その日に裁く何十試合かのうちの1試合であっても、選手にとっては、それまでの努力のすべてをかけて闘う場です。誤審によって負けにされてしまっては、泣くに泣けません。
何年か前の全日本選手権で、赤と青の得点板を間違えて上げ、指摘されて笑いながら板を変えた審判がいたそうです。斎藤修審判委員長はこの審判を大会からはずしました。その審判には嫌なことを思い出させてしまい、大変申し訳ないのですが、この厳しさこそが審判に求められる姿勢だと思います。
選手は真剣に闘っています。照れからくる“ジャパニーズ・スマイル”だったとしても、笑いは真剣勝負の場にふさわしくありません。審判の真剣さがあればこそ試合が引き締まり、選手も真剣に闘えるのです。
審判の必死さと、き然とした判定とが、私たちを支えてくれます。審判による正しいルールの周知徹底が、「ルールを知らずに負けた」という状況をなくしてくれます。オリンピックでの勝利へ向け、審判の持つ役割は非常に大きいのです。審判の方々には、これからも真剣な姿勢で強化を支えてもらいたいと思います。
将来、オリンピックのマットに立ちたいと思っている審判は、困難を乗り越えて夢に向かって突き進んでください。夢を追うことは選手の専売特許ではありません。だれもが夢を追うことができます。夢を追う人生を歩むべきです。
いま下積みで頑張っている審判が、10年後、20年後、オリンピックや世界選手権の舞台で輝く姿を期待しています。審判も晴れの舞台を目指し、がんばってください。
《ネバーギブアップ! 2020年、金メダル10個への挑戦》
■第8回: 新たな応援のスタイルを生み出したネット中継(2014年10月10日)
■第7回: レスリングを支援してくれるお母さんが増えてほしい(2014年8月17日)
■第6回: 試合後にゴミ拾いをしたサッカー・サポーターに学びたい(2014年7月17日)
■第5回: 感謝の気持ちを忘れなかった教え子を、誇りに思います(2014年6月23日)
■第4回: 天国の堀幸奈さんに、必ず世界一の感動を届けます (2014年5月26日)
■第3回: 35年前の世界ジュニア選手権でのほろ苦い思い出(2014年5月9日)
■第2回: 米国で頑張る永島聖子さんにエールを贈ります(2014年4月25日)
■第1回: 吉田栄勝さんの功績と思い出(2014年4月18日)