※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(日本協会強化委員長・栄和人)
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第5回「感謝の気持ちを忘れなかった教え子を、誇りに思います」 2009年世界選手権3位決定戦で中国選手を破った甲斐友梨さん
2009年の世界選手権(デンマーク)で、2ヶ月前に勝っていた選手に敗れて無念の銅メダル。そのあと、ロンドン・オリンピックを目指しましたが、けがのため、最終予選を待たずに引退。現在は東京で洋服デザイナーとして働き、一流のデザイナーを目指しています。
大会には、私が呼んだわけではありません。現役時代からの知り合いの大会役員に頼まれ、運営を支えることになりました。甲斐さんのブログ(http://ameblo.jp/kirapika-mydream/)には「これを引き受けると、仲間を大声で応援できなくなるんだけど、わたしが現役のとき、裏方をしてくれた方がいたからスムーズに進行してたんだなって、今ならわかるから」と書いてあります。
至学館大学やアイシン・エィ・ダブリュの後輩を大声で応援したい気持ちを押さえ、大会運営サイドに回ってくれました。表に出てこない人たちの苦労に目を向け、感謝する気持ち持って恩返しの行動に出てくれたことに、恩師として、とても誇らしい気持ちになりました。
これまでにも書いてきたことですが、選手は裏で自分たちを支えてくれる人の存在を忘れてはなりません。全日本選手権や全日本選抜選手権に出場すれば、ショーアップされた晴れ舞台で試合ができます。こうした大きな舞台だけではなく、どんな小さな大会でも、大会を支える人の苦労があって試合ができるのです。 きつい練習でも、明るく前向きに取り組んでいた甲斐さん(上=2010年7月)
「わたしはオリンピックに出れなかったし
世界選手権で優勝できなかった
でも本当に本当に
心からやり切ったって思えたとき
それまでの自分も今の自分も愛せるようになった
みんなやり切ってほしい
出し切ってほしい
いつか来る引退の瞬間
悩みながらじゃなくて
我がレスリング人生一片の悔いなしって
心から言えるように」
とも書いてあります。世界チャンピオンを目前にしながら、それを達成させてやれなかったことに、監督として痛恨の思いがありましたが、この文を読んで、いくらかでも胸のつかえがおりました。
私はこれまでに、京樽時代を含めて11人(のべ53人)のオリンピック・世界チャンピオンを育ててきました。一人一人が誇りですが、世界チャンピオンには育てられなくとも、ここまでレスリングを愛してくれる人間を育てられたことも、指導者として誇りに思えることです。
指導者は、選手を強くすることだけを考えてはいけません。チャンピオンを目指させ、その実現に向けて最善を尽くすのは当然ですが、強ければそれでいい、という指導であってはなりません。引退後もレスリングを愛してくれる人間、お世話になった人への感謝の気持ちを忘れない人間を育てることが、強くすること以上に大切なことです。
現役を終えたら、マットには背を向ける…という選手ばかりでは、日本のレスリング界に栄光はやってきません。指導でも、審判でも、大会役員でも、会場へ足を運んで応援することでも、レスリングの発展につながることに情熱を燃やし、尽力できる人間を育てることが指導者に求められていることだと思います。
オリンピックの金メダルは、断じてその選手と指導者だけのものではありません。多くの人の力と情熱の結集が、オリンピックの金メダルです。心からレスリングを愛してくれる人が多ければ多いほど、金メダルの数も増えていきます。
リオデジャネイロ・オリンピック、そして東京オリンピックでは、多くの人たちとともに勝利の喜びを味わいたいと思います。
《ネバーギブアップ! 2020年、金メダル10個への挑戦》
■第4回: 天国の堀幸奈さんに、必ず世界一の感動を届けます (2014年5月26日)
■第3回: 35年前の世界ジュニア選手権でのほろ苦い思い出(2014年5月9日)
■第2回: 米国で頑張る永島聖子さんにエールを贈ります(2014年4月25日)
■第1回: 吉田栄勝さんの功績と思い出(2014年4月18日)