2014.05.19

【特別寄稿】全国の皆さまの支えに感謝します…吉田栄利(三重・一志ジュニア教室)

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

三重・一志ジュニアレスリング教室 吉田栄利


 さる3月11日に父・栄勝が他界し、早くも2ヶ月以上が経ちました。4月26日に四十九日の法要を終え、父の故郷である青森県八戸市への納骨を無事終えることができました。この間、全国のレスリング関係者をはじめとして、多くの方からお悔やみと心あたたまるお言葉をいただき、深く御礼申し上げます、

 突然の他界であったことで、至らないことも多々あったかと思いますが、ご容赦いただきたく思います。

 通夜・告別式には、全国から予想を上回る1500人もの方が駆けつけていただきました。父がレスリング界で多くの方から愛されていたことを改めて知りました。レスリング協会や全日本チームの方々には、直後のワールドカップで何かと気を遣っていただき、魂を大会に参加させていただきました。日本の優勝を天国から笑顔で見つめていたことと思います。

 父は、ふだんはとても物静かで、怒ることはほとんどありませんでしたが、練習ではとても厳しく、妥協をしない人でした。「闘志なき者は去れ」「最後まであきらめるな」が口ぐせで、選手を鍛えてきました。

 ただ、選手が試合に負けた時は「指導者が悪い」として、自分にも厳しい人でした。「勝たせられなかった指導をしなかった自分が悪い」と、負けたビデオを何度も見て研究していました。ここうした姿勢が、指導者として花開いた一因だと思います。

 「勝てば周囲は認めてくれるんだよ」が口ぐせで、目立ちたがりの面はまったくありませんでした。沙保里がオリンピックで優勝しようが、国民栄誉賞を取ろうが、それを自慢することもなく、謙虚な姿勢は崩しませんでした。

 沙保里に言い聞かせていたことは、「一人で強くなったんじゃない。周囲の人のおかげだ。それを忘れるな」でした。この姿勢は最後まで崩さなかったと思います。

 2004年のアテネ・オリンピックと2008年北京オリンピックは観客席からの応援でしたが、ロンドン・オリンピックはセコンドとして沙保里を支えました。実はロンドン・オリンピックの前、家族の前では「今度はダメかもしれない」という言葉を何度かつぶやいていました。

 それが本心だったのか、外では弱みを見せられなかったことの反動だったのかは分かりません。挑戦者としての気持ちがあったからこその不安だったのかもしれません。あの強気の父がそんな言葉を口にするオリンピックのすごさを感じるとともに、そのプレッシャーを父子で乗り越え、娘に肩車してもらえたことは、最高に幸せなことだったと思います。

 これも、レスリング協会の皆様の支えがあればこそであり、深く感謝する次第です。今後は、私たち残された者が父に代わってレスリング界に貢献し、父の遺志を継いでいかねばならないことを強く感じました。

 本来なら、お気づかいや励ましのお言葉をくださった方、一人ひとりに御礼を申し上げるべきところですが、時間の都合もあり、略儀ながら本書面をもちまして御礼のあいさつとさせていただきたく思います。

 ありがとうございました。