※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=樋口郁夫)
全日本選手権へコマを勧めた永田(左)
■半年間のブランクを感じさせない強さで優勝
今年春に日大から自衛隊に進んだ。昨年5月の全日本選抜選手権で2位の成績があるが、その実績だけでは体育学校レスリング班への配属とはならず、一般自衛官としての入隊。先月中旬まではレスリングを離れて自衛官としての教育を受ける毎日だった。1ヶ月前からスリング班の練習に加われるようになり、来年春の正式配属を目指して汗を流すのが今の練習環境だ。
社会人としての最初の大会は10月初めの山口国体だったが、京都府の選手配置によってグレコローマンでの出場。自衛隊教育の真っ最中で、練習が足りなかったこともあり、結果を出せなかった。
決勝はフォール勝ちの圧勝優勝だった
それでも、「もうちょっと自分から攻めることができたように思います」と話し、満足度は100パーセントではない。全日本のトップ選手に実力を知っているがゆえに、このレベルの大会での優勝で満足するわけにはいかない。
■高校8冠王者・松本真也に匹敵する高校時代
網野高といえば、男女を問わずコンスタントに強豪選手を輩出している高校。その中で男子の筆頭は、史上初の高校8冠(全国高校選抜大会2度、インターハイ・国体各3度)を制した松本真也(現警視庁)だろうが、その次に続く選手といえば永田ではないか。
なにしろ、松本でも達成できなかった記録を達成している。全国高校生グレコローマン選手権を2年連続で制していること。松本はこの大会は2度出場して2度とも3位。歴代の高校四冠王者に名前は連ねていない。
2006年インターハイで優勝した時の永田
ところが日大ではタイトルに恵まれなかった。2年生(2008年)秋の東日本学生新人戦での優勝があるが、学生でのタイトルはなし。1学年下の選手に負けることもあった。昨年の全日本選抜選手権では、負けたことのある選手を撃破して決勝まで残ったものの、松本篤史(ALSOK)に敗れて優勝を逃した。
その後の学生の2大会(全日本学生選手権、全日本大学選手権)はともに3位。学生最後の全日本選手権は初戦で社会人選手に敗退。最後まで恵まれた資質を爆発させることなく、4年間を終えてしまった。しかし上を目指し、オリンピック出場を目指し、自衛隊への道を選んだ。
■甘えがあった日大時代
日大時代を「親から仕送りを受けながらレスリングをやっている生活で、甘えがありました」と、反省を含めて振り返ってくれ、「体育学校は結果を出せなければクビになります。レスリングに打ち込む気持ちが違います」と続けた。
合流して1ヶ月ちょっとだが、選手の意識の高さは学生時代に経験したことのないもの。「朱に交われば赤くなる」の言葉があるように、この中で練習すれば学生時代とは違った永田が誕生するのではないか。
2010年全日本選抜選手権で決勝へ進むも、松本篤史に敗れる
自衛隊はこれまでに経験したことのないトレーニング施設が整っており、練習も新鮮なものが多い。永田は「きつい中にも、楽しくできます」と話し、心身ともに充実した練習環境を得たようだ。早ければこの冬、眠っていた逸材が飛躍する-。
永田裕城(えいた・ゆうき)=自衛隊 1988年6月29日、京都府生まれ。23歳。京都・網野高~日大卒。03年に全国中学生選手権66kg級で優勝。網野高では05・06年に高校四冠を制覇し、05年にはアジア・カデット選手権で銀メダル獲得。日大に進み、08年にアジア・ジュニア選手権に出場。同年の東日本学生秋季新人戦で優勝。2010年は全日本選抜選手権で2位に入ったが、学生タイトルは手にできなかった。175cm。 |