※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
84kg級のデビュー戦を優勝で飾った渡部友章
土田が最終学年に1試合もできず、レスリングをやめようと思っていたのに対し、渡部は処分が解けた4年生の後半に全日本大学グレコローマン選手権と全日本選手権に出場することができた。ブランクをものともせず、前者は2位に入賞。クリナップから声がかかり、ブランクを埋めるべく社会人選手としての道を歩んだ。
しかし体重の問題にぶつかった。減量がきつくなり、7月の全日本社会人選手権は計量を棄権。10月の山口国体では何とか落ちてくれ出場したが、2回戦で学生選手に黒星。「力が出せませんでした」と、過酷な減量によって同級での限界を感じ、階級アップを決意した。
その初戦で優勝を勝ち取ったわけだが、「全日本のトップクラスと闘っての優勝ではない」として、この階級で通じる実力があるとは思っていない。結果が出せないことで悩み、練習に打ち込めない時期もあったというが、「全日本選手権の出場が決まったし、これからさらに頑張っていこうと思います」と話した。
■全日本選手権で結果を出してこそ、会社への恩返し
福島・田島高時代は全国王者には遠かったが、日体大に進学し、2年生の時(2008年)にJOC杯ジュニアオリンピックで優勝して世界ジュニア選手権へ。全日本学生選手権でも3位と急成長。翌2009年も全日本学生選手権2位と順調に実力を伸ばした。
そこで襲われたチームの出場停止。「その時には(不遇であっても)心はゆるんでいないと思う自分がいた。甘えていたとは思っていなかった。でも、今になってその時の甘えが出てきたという感じなんです」。ブランクの直接の影響というより、“後遺症”が出ていることを感じているもよう。
しかし「自分の責任。自分の弱さなんでしょうね」とも口にし、それをはねのけようという気持ちも十分。「あのままいったら、もっと上にいっていたかもしれない。でも、それを言っても始まらない。逃げずに、この優勝を機にいい方向へ変わっていけばいいと思います」と言う。
息子の殊勲を祝福した父の渡部友幸・福島県協会理事長とともに。
同期でクリナップに進んだ女子2選手が好調なだけに、その思いは強かったようだ。67kg級の井上佳子は世界選手権(トルコ)へ出場して銅メダルを獲得し、同72kg級の鈴木博恵はゴールデンGP決勝大会で3位入賞を果たし、サンキスト・キッズ国際大会では優勝と結果を出している。それだけに、もどかしい思いがあった。
今回の優勝で最低限度のメンツは保った形だが、「まだ(2人に)追いついたとは思っていない。周囲に迷惑をかけてきた部分が大きい。全日本選手権に出て、そこで結果を出してこそ、会社に貢献できると思っています」ときっぱり。階級を上げたばかりなので、今回の全日本選手権で結果を出すことは厳しいかもしれないが、つまずきを乗り越えた選手が間違いなく世界へのスタートラインに立った。