※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=三次敏之、撮影=矢吹建夫)
ヤマ場だった鈴木博恵戦に勝ち、にっこり笑顔の浜口京子
話はさかのぼるが、2004年アテネ・オリンピックで銅メダルを獲得した翌年の2005年のこと。4年後の北京オリンピックへ向け、浜口は不安との葛藤(かっとう)が続いていた。練習にも身が入らないこともあった。
そんな頃、父・アニマル浜口氏が仕事で出かけた富士山のふもとで、富士山から語りかけられたという。「今のままで本当に続くのか? どんなにがんばっても、北京オリンピックまでなんて無理だ」と。アニマル氏はそう語りかけられて我に返り、娘に全てを吐き出させることを勧め、それを実行させた。
アニマル氏が考案した「笑いビクス」を、家庭や道場で実践し始めたのがこの頃だった。この頃から、浜口京子というアスリートは困難や不安を抱えることから解放されていった。
セコンドとして浜口を支え続ける父・アニマル浜口
■世界選手権9位、アジア女王の鈴木博恵にラスト13秒で逆転勝ち
北京オリンピックでは銅メダルを獲得したが、昨年のロンドン・オリンピックでは11位という成績に甘んじてしまった浜口。それから約1年4ヵ月。代々木競技場第2体育館で、あの“強い浜口京子”を目の当たりにすることになる。
シード権を得ていない浜口は、1回戦を無難に勝ち上がり、2回戦で今年の世界選手権9位、アジア選手権優勝のの鈴木博恵(クリナップ)に苦戦するも、ラスト13秒で逆転勝ち。準決勝では阿部梨乃(日大)に圧巻のフォール勝ち。決勝では新海真美(アイシン・エイ・ダブリュ)に文句なしの判定勝利。
実際に手を合わせた新海が「オリンピックから試合してなかったけれど、以前と変わらず強かったです」と語っていたのだから、“あの頃”の浜口に戻っていたのは間違いない。
全日本出場を決めたのは2ヵ月前だと、浜口は試合後に明かしたが、ロンドン・オリンピックが終わってからも練習は継続していた。ジャパンビバレッジの金浜良コーチが「筋力も落ちていないし、スタミナ面も心配ない」と浜口の2回戦終わった直後に語っていたが、まさにその通り。浜口の体も動きは“あの頃”のままだった。
■1年4ヶ月前の浜口京子がいた
気迫あふれるファイトで決勝も快勝した浜口
オフィシャルブログをチェックしてみると、出場を決断した2ヵ月ほど前から更新がされていなかった。このことからも、練習に集中していたことが伺えてくる。
「言うのは簡単。不安という気持ちはなかった。腹を決めて決断する覚悟のほうが大変だった」。そんな言葉を発している時も浜口は笑顔を絶やさなかった。
1年4ヵ月ぶりのマット上の浜口は、女王と呼ばれた“あの頃”に戻っていたが、人間・浜口京子は精神的にもたくましくなり、進化した姿へと成長を遂げていた。