※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子)
74kg級優勝の山中良一(日体大)
国体では「たまたま、まぐれて、運が良くて」と、実力での優勝を否定した山中だったが、高谷超えを果たし、人生初のタイトルを手に入れてから約1ヶ月。人生初の学生タイトルを手中に収めた。
“シンデレラストーリー”をつくった東京国体の跡をなぞるようなスタートだった。初戦の相手が東京国体でも1回戦で対戦した昨年66kg級学生2位の岩渕尚紀(拓大)。「また対戦するのは嫌だった」と苦笑した山中だったが、ここを10-2のテクニカルフォール勝ちで突破し、その勢いで準決勝まで3試合連続のテクニカルフォール勝ち。
決勝は、昨年、2年生ながら学生二冠王者になった嶋田大育(国士舘大)。ひざの負傷で8月の全日本学生選手権や世界ジュニア選手権を欠場していたが、満を持しての復帰参戦。実績、実力ともに自分より格上だと思っていた山中だが、ひとつだけ勝機を見出していた。「体力だったら自分のほうが上かもしれない」、第1ピリオドの失点を2、3点に抑えていれば、後半で勝負する算段をつけていた。 決勝で島田大育を攻める山中
その後は、片足タックルからテークダウンを決めて5-2と突き放した。ラスト30秒は嶋田の猛追を受けて5-4と詰め寄られるもタイムアップ。国体に続くタイトルをつかんだ瞬間だった。
高谷を破ってからこの1か月間、注目も浴びたが、湯元健一コーチからの「実力が伸びたわけじゃないから」という忠告もあり、図に乗ることなく、以前と変わらず地道に練習を積んだ。
■介護実習の期間中は監督、コーチとの“個人レッスン”で練習
そんな山中は、10月下旬に5日間、都内の施設で介護実習のプログラムを受けるため、練習に参加することが困難になってしまった。実習で通常の練習に不参加の場合、ウエートトレーニングや自主練習に置き換えるのが部の習慣だったが、山中は違った。松本慎吾監督や湯元コーチなどに“個別レッスン”を申し込み、都内から戻るとマットに直行し、松本監督の下で湯元コーチとスパーリングをこなす日々を送った。 優勝を決めた瞬間、雄たけびはあげたが、ガッツポーズはなし
だが、あれほどほしかったはずの学生タイトルだが、山中はガッツポーズすらしなかった。「北村(公平=早大、今大会は84kg級にエントリー)はいないし、嶋田はケガ(明け)のため10日間しか練習できなかったようだし、今回も運が良かっただけですよ」と自身の“初優勝”を斬った。
次の目標の全日本選手権では、高谷や全日本学生選手権で敗れた北村との再戦の可能性がある。「あわよくば上位に行きたいけど、一生懸命頑張ります」とキッパリ。高谷、嶋田に土をつけた山中。次の壁は北村か-!? 日体大在籍中の最後の決戦で、またも大物食いなるか。