※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫) 学生二冠を制し、最優秀選手賞を獲得した木村洋貴
「ホッとしました。団体戦なので、優勝へ向けて自分のできることができました」。決勝戦で一時リードされるなど苦しい展開だったからか、あるいは個人の優勝の段階ではまだチームの優勝がどうなるか分からない状況だからなのか、手放しの喜びというわけではなかったが、全身からは安ど感がたっぷり。
全日本学生選手権(インカレ)は、同じ階級に日体大の選手が何人も出ているので「だれかが勝てばいいだろう」といった気持ちがあったそうだが、各大学から1選手出場の今大会は、「チームの代表として出る分、緊張がありました。必ず優勝しなければというプレッシャーがありました」と振り返った。
決勝は3点技を受けてしまうなど思い通りに行かない内容だったが、「何とか修正できました」と苦笑い。松本慎吾監督らのアドバイスがしっかり聞こえ、それを頼りに闘ったというから、リードされたとはいえ、冷静さを失っていなかったことが逆転勝利につながった要因のようだ。
■ロンドン・オリンピック代表から5点を奪う!
山形・山形商高時代は、早生まれのため3年生(2009年)で出場できたJOC杯カデット2位の成績が最高。高校生の大会としてはインターハイで5位入賞(ベスト8)を果たしたが、全国高校選抜大会=三回戦敗退、全国高校グレコローマン選手権=五回戦敗退、国体=二回戦敗退と、上位入賞が一度もなかった選手だ。 決勝で闘う木村
そんな選手が4年後、学生二冠王者に輝き、将来を期待される選手にまで力をつけた。大学1年生の時は、こうした選手のご多分にもれず実績をつくれなかったが、2年生でJOC杯ジュニア2位、東日本学生春季新人戦優勝、3年生で全日本学生選手権3位と一段ずつ階段を上がり、今年の栄光につながった。
表には出ない“快挙”もある。8月上旬、ロンドン・オリンピック同級代表の長谷川恒平(福一漁業)らとポーランドへ遠征し、合宿のあと同所で行われた「ピトランシンスキ国際大会」で長谷川と対戦。敗れたものの、首投げを決めるなどして5点を奪っている(結果は5-9)。
オリンピックのあと休養した長谷川は、今春復帰し、その大会で国際レスリング連盟(FILA)ランキング1位のエルベク・タジエフ(ベラルーシ)をテクニカルフォールで破るなど世界トップ級の実力をキープしている。復帰戦だった6月中旬の全日本選抜選手権では、国体王者とJOC杯王者にテクニカルフォール勝ちする強さを見せていた(決勝は田野倉翔太に2-3で惜敗)。長谷川から5点を取った実力は、学生二冠制覇以上の価値と言っていいだろう。
■最高にハイレベルな練習環境で実力養成
躍進の要因を、木村は「副キャプテンになって、後輩を引っ張っていかなければならない気持ちでしたから」と分析したが、そこに至るまでには、日体大のこの階級の層の厚さが大きな要因だろう。インカレでは2011年に1位と2位を占め、昨年はベスト4を独占。今年もベスト4のうち3選手が日体大。この大会は木村を含めて3年連続で日体大選手が優勝。60kg級で国体とこの大会を制した太田忍も、本来は55kg級の選手だ。 8月、ポーランドで闘う木村
今夏のポーランドでは、目の前で世界と闘う長谷川の姿を見て、優勝するシーンにも接した。「カッコよかったです」と、オリンピック選手の雄姿にあらためて感動。モチベーションの高揚となり、学生2大会の優勝につながったことも確かだろう。
田野倉が今年のアジア選手権で2位になるなど世界で通用する階級に、また一人、新星が誕生した。松本監督は「インカレ前にポーランドに遠征に行かせ、そこでの経験が実を結んだと思う。努力してここまで来た選手。ここまで育ってくれたことが本当にうれしい」と、入学してからの3年半の努力に感慨無量の様子。
ただ、卒業後の進路は決まっておらず、来年以降も選手活動を続けるかどうかは分からない状況だという。「続けたいんですけど、仕事がないと先が心配で…」と、進退は未定。松本監督は「本人の希望にそうような形にもっていきたい」と、練習環境がないため不本意な気持ちでマットを去ることはさせない腹積もりだ。
無名選手のサクセスストーリーは、オリンピックをもって完結させてほしい。多くの選手に希望を与えるためにも、日本レスリング界に大きな損失をさせないでほしいと思うのは、筆者だけではあるまい。