2011.10.22

【特集】高校時代に全国王者なしから学生二冠王へ…84kg級・辰川裕也、74kg級・中村隆春(ともに日体大)

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文=樋口郁夫 / 撮影=保高幸子)

 10月19~20日に東京・駒沢体育館で行われた全日本大学グレコローマン選手権で、84kg級の辰川裕也と74kg級の中村隆春(ともに日体大)が8月の全日本学生選手権に続く優勝を達成した。

 7階級で連続優勝は2人だけ。共通することは、ともに高校時代に全国王者がなく、高校で最後の大会となった国体で3位に入ったのが最高だったこと(中村はJOC杯カデットでの優勝あり)。ほぼ無名の存在から階段を一歩一歩昇り、学生の頂点に登り詰めた。

■同期のエリートに1年遅れでジュニア&新人戦王者へ・・・辰川裕也

84kg級優勝の辰川裕也

 4年生の辰川は「準決勝(早大・山口剛)がヤマでした。去年の96kg級のチャンピオンですから。高校時代からすごい存在の選手でした」と話す。その難敵に勝てたのは、「インカレの(グレコローマンの)王者として、フリースタイルの選手には負けられないという気持ち」と話し、意地の勝利であることを強調した。

 一方、決勝の徳山利範(明大)戦は予想外の苦戦だった。「スタンドで取り切れなかったし、グラウンドでもポイントを取られた」と満足しておらず、「スタミナ面を克服しないとなりません」と話した。しかし、相手が強かったこともさることながら、大きな目標を乗り越えたことによる安堵感が苦戦の一因ではないか。これもいい経験として、今後の飛躍に役立つはずだ。

 広島・三次高の出身。日体大に進んだ同期で今季の主将を務めた66kg級の富塚拓也(群馬・関東学園高卒)が、1年生にしてJOC杯ジュニアオリンピックと東日本学生春季新人戦で優勝し、全日本学生選手権でも3位に入賞したのを横目に、辰川はJOC杯と2度の新人戦で上位入賞ならず。苦しい1年目をおくった。

■今年2月に左腕骨折! 負傷を乗り越えての栄冠

 しかしハイレベルのチームでもまれれば、自然と実力がついていく。2年生春にはJOC杯ジュニアオリンピックと新人戦で優勝。同期のエリートに1年遅れながらも、順調に階段を上がっていった。

決勝で闘う辰川(赤)。苦戦をしいられながらも最後は勝つ!

 そこに襲ったチームの出場停止処分。「どうなるのかな」と思った長いトンネル。昨秋に処分が解けたものの、出場する大会がなく、実戦は1年以上あいた。不運は続く。今年2月の練習中、投げられた際に左腕を骨折して手術。約3ヶ月間、練習を離れることになった。「練習できたのは5月くらいからです。そんな状況から学生二冠を取れたのですから、これは自慢していいことなんじゃないかな、と思います」と、表情がゆるんだ。

 今年の初めの段階では卒業後にレスリングを続けるかどうかは決めておらず、「この大会と全日本選手権の結果次第で決めようと思っていました」と言う。進路が決まっていないこともあって来春以降も続けるかどうかの明言はせず、「教員をやりながら続けられたらなあ、と思います」と話すにとどまったが、「やるとしたら74kg級に落とします。元々74kg級でした」と口にしたあたり、やる気は十分に感じられる。

 とりあえず12月の全日本選手権には84kg級で出場する。学生両大会を制した先輩となる岡太一(拓大=現自衛隊)や2年前の王者の天野雅之(中大=現中大職)に全力でぶつかり、「1点で多く取ります」と控えめながらも必勝を誓った。

■2年生までのグレコローマン学生二冠王者は史上7人目・・・中村隆春

74kg級優勝の中村隆春

 74kg級の中村は2年生にして学生二冠王に輝いた。1989年に全日本大学グレコローマン選手権が始まって以来、グレコローマンの学生二冠王はのべ89人いるが、2年生までに達成したのは6人。高校時代に全国王者のない選手としての2年生二冠王者は、史上初の快挙となる。

 優勝後の第一声は「インカレでも優勝していますので、この大会も勝たなければいけないという気持ちでした。団体戦でもあるのでインカレとは違うプレッシャーもあり、うれしいというより、ホッとしています」。インカレ決勝を争った北村公平(早大)や強豪の福田翼(拓大)が反対のブロックという組み合わせになり、決勝まで勝ち上がる自信はあったそうだ。

 試合が始まってみると、「足が動かず、納得はしていない」という準決勝までだそうだが、1ポイントもやらずに勝ち上がっているのだから、これは謙そんの部分がかなり大きいだろう。福田との決勝でもポイントを許さずに優勝することができ、5試合で総得失点は37-0という圧勝優勝だった。

 4月のJOC杯ジュニアオリンピックでも優勝しており、今季3個目のタイトル獲得。高校時代に全国王者なしの実績から、2年生にしてこれだけの成績を残すのは驚異とも言える成長ぶりだ。その要因を問われると、「練習相手が多くいることと、OBに金久保先輩(武大=ALSOK)など全日本トップクラスの選手がいて、練習できるからだと思います」と言う。

■アジア・カデット選手権の敗北が悔しくて日体大へ

 三重・鳥羽ジュニアで5歳の頃からレスリングに親しみ、小学校5年生の時からグレコローマン学生二冠王の先輩となる中村吉元監督の指導を受けた。「中学時代からグレコローマンの技術をきちんと教えてもらいました」という。その基礎があっただけに、「高校では両スタイルやっていましたが、普通の高校生よりはグレコローマンの練習に力を注いでいたと思います」と振り返る。

 もっとも鳥羽高3年生までは卒業したら専門学校へ行くことを決めており、レスリングはやめるつもりだった。しかし、JOC杯カデットで優勝して出場したアジア・カデット選手権(インド)で負けてしまい、「世界で勝ちたい」という気持ちが芽生え、続ける気持ちになったという。

決勝でこん身のローリングを決める中村(青)

 1992年3月31日生まれなので、高校3年生でもカデットに出場できた。それだけの理由で優勝したわけではないだろうが、キャリア的に有利だったことは間違いない。そのおかげで、日本レスリング界は逸材を逃さずに済んだ。

 ただ、高校卒業時の日体大は出場停止処分の真っ最中で、進学してもいつ試合に出られるか分からない状況だった。しかし、高校の植村久弥監督から「1年生の時は試合に出るより、じっくり練習して実力をつけた方がいいんだ」というアドバイスを受け、日体大への進学を決めたという。

 高校では全国優勝の結果を出すことができなかったが、国内最高レベルの練習をすることで一気に開花した。しっかりした基礎があればこその結果にほかなるまい。五輪への思いを問われると、「意識しながらやっていきたいと思います」と控えめながらも、はっきりと視野に入っている。

 練習では時に60kg級で昨年世界2位になった松本隆太郎(群馬ヤクルト販売)ともやるそうだが、「まだ勝てないんです」-。2階級下の選手にも勝てないという練習環境にいれば、思い上がりの気持ちが芽生えるすきはないはず。おごることなく、世界の頂点を目指してほしいホープの誕生だ。