※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=久方大樹)
国体2連覇の高橋と藤波監督
高校1年でインターハイを制し、昨年はユース五輪で金メダル獲得-。多くの高校生が“打倒・高橋”と目標を掲げて挑んできたが、超ド級のモンスターっぷりが影響したのか、今大会は思わぬ事態が発生した。日本のお家芸であるフリースタイル55㎏級にもかかわらず、エントリー数がわずか14名しかなかったのだ。
同級のグレコローマンは倍の30人のエントリーがあり、絶対王者の高橋の存在がエントリーに影響を及ぼした可能性が高い。高橋も「エントリー数を見てびっくりした」そうだ。その影響で、計量をした翌日(初日)には試合がなく2日目からの登場となった。
「計量の翌日に試合がなかったことは初めて」と振り返ったが、その分、ベスト8からの3試合を全力で戦い、準々決勝と準決勝はフォール、決勝もあっさりとテクニカルフォールで終わらせ、無失点Vで高校生最後のタイトルを難なく手に入れ、有終の美を飾った。
全国選抜1度優勝、インターハイ3連覇、国体2連覇とタイトル尽くしだった3年間を、高橋は「高校はあっという間だった。中学校の時は、こんなに結果を残すとは思っていなかった」と話し、充実した日々を振り返った。高橋が地方予選も含めて高校生だけの大会のフリースタイルで黒星を喫したのは、1年生の国体の決勝戦で森下史崇(茨城・霞ヶ浦=現日体大)に負けた1敗だけ。グレコローマンを入れても、わずか3敗と驚異的な勝率を誇った。
勝率だけが高橋の強みではない。大きなけがをせず、体調も崩さずに過密日程をこなせる体力が、この輝かしい結果を導いたと言ってもいいだろう。藤波俊一監督は、「内臓が丈夫。けがに強くて、いくらでも追い込んだ練習ができた」と大成した理由を挙げた。
全試合快勝で高校での有終の美を飾った高橋
監督へ恩返しの気持ち、そして自分自身の夢のために高橋は高校生での全日本制覇を視野に入れた。「リオデジャネイロではなく、ロンドン五輪に出てみたい」。9月の世界選手権(トルコ)で、フリースタイル55級は五輪出場枠を取れず、選考は振り出しに戻っている。高橋が「日本人として世界選手権の結果は残念だと思ったけど、僕個人としては、良かった」とその気を見せると、藤波監督も「0.01パーセントだった可能性が、少し広がった」と続けた。
高橋は「高校の試合は終わりましたけど、いなべ総合の高橋としての試合はまだ終わっていない」とキッパリ。全日本選手権で本当の集大成を見せることを誓った。