※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
米国戦でチョークスリーパー気味の技を受け、ペースをつかめなかった湯元
湯元は今大会、双子の兄である同60㎏級代表の湯元健一(ALSOK)とともに史上初の双子同時に世界代表に選ばれた。しかも、金メダルの期待がかかる軽量級として、話題、実力ともに男子で一番の注目を浴びてきた。
「調整も練習量も満足でき、万全のコンディションだった。自分でもいけると思っていた」と湯元。コーチ陣も「湯元の調子がいい」と口をそろえ、自他共に認める最高の仕上がり。練習以外でもビデオ研究などを積み重ね、強豪のほとんどは分析済み。あとは試合で「金メダルを取るだけ」だった。
初戦から3回戦までは組み合ってからの左のタックルでテークダウンを取り、アンクルホールドで得点を重ねていくパターンで、順調に勝ち進んだ。2回戦の相手は地元トルコの選手で、完全アウエーの中での対戦。これを2-1で振り切り、3回戦の昨年5位のバヤラー・ナランバータル(モンゴル)戦はストレート勝ち。勢いに乗ったかのように見えた。
だが勝負の世界は甘くない。五輪出場がかかった準々決勝でニコラス・シモンズ(米国)と対戦。その選手は研究ビデオにはなかった選手だった。ただ、予習をする時間はあった。「JISS(国立スポーツ科学センター)のサポートチームの方が、米国の(3回戦まで)の試合を見せてくれて、どんな選手かは把握できた」(湯元)という状況だったが、試合のハイライトとなった、縦のがぶり返しや、チョークまがいの攻撃などトリッキーな技は、「今までかけられたことがない技だった」とのことで、頭で分かっていても対応できなかった
国際大会に強いと言われる湯元だが、2度目の世界選手権でもメダル獲得ならず。「日本代表として五輪出場権を取れなかったことに関しては情けない」とうつむいた。前々日に全日程を終えたグレコローマン・チームからは、食料の差し入れや減量につきあってもらうなどし、「TEAM JAPAN」として湯元をサポートしてくれた。それだけに、情けなさが倍増したのだろう。
だが、不本意な判定で消化不良に終わった2009年の世界選手権に比べると、「今回は力を出し切れた。試合に悔いはない。米国戦での負けは自分が勉強不足だった」と言う。100パーセントの力を出しても、まだ世界王者になるために足りないものを発見した様子。次の五輪予選までに、その課題の克服をはかる。