2024年パリ・オリンピック王者を破ってアジア選手権2連覇を達成した吉田アラシら三恵海運の選手が4月17日、吉田の練習拠点である日大の練習に参加して学生選手を激励。日大OBである日本レスリング協会の福田富昭名誉会長と日本重量級最強と言われた谷津嘉章さんが姿を見せ、後輩の快挙を祝福した。

▲練習前に吉田アラシを激励する福田富昭・日本レスリング協会名誉会長
吉田は日大の後輩に「外国選手のパワーは強かったけれど、組み手は日本選手よりやりやすかった。これからアジアや世界に出る選手は、自分のスタイルを貫いて、自信をもって闘えば結果は出てくると思います」とあいさつし、今後の指針を示した。
福田名誉会長は、大学の後輩が世界で通じる選手になったことがうれしそう。「重量級に強豪が多くいるこの環境の中で練習すれば、もっと強くなる」と今後に期待する。日大には、埼玉・花咲徳栄高時代に超高校級の実力を見せた藤田宝星(全日本選手権125kg級3位)がいて、この春、全日本選手権決勝で吉田と優勝を争ったリボウィッツ和青(東京・自由ヶ丘学園高卒)と高校三冠王の吉田悠耶(92kg級)が加わり、毎日が全日本合宿のような練習がこなせるので、その言葉に実感がこもる。

▲福田名誉会長の見守る前で練習する吉田アラシ
日本の重量級は切り捨てられたこともある。2006年アジア大会(カタール)では、日本オリンピック委員会(JOC)の少数精鋭の方針で、「メダルまたは入賞」が派遣基準とされ、男子両スタイルの重量2階級は派遣なしとなった。
福田名誉会長は当時、JOC強化本部長であり大会の副団長。自身の協会のみを優遇するわけにはいかず、この方針に従わざるをえなかった。そうした屈辱を経験しているだけに、重量級の躍進はうれしい限りだが、「今度は軽量級が勝てなくなったな」とも話し、昨年の世界選手権と今回のアジア選手権で、ともにメダルを逃した軽量2階級の奮起を望んだ。
時代をさかのぼること50年、1976年モントリオール・オリンピックの男子フリースタイル90kg級に20歳で出場し、日本の重量級に日の目を当てたのが谷津さん。1978年アジア大会と1979年アジア選手権で優勝。1980年モスクワ・オリンピックではメダルも期待され、「日本重量級最強のレスラー」と言われ、プロレスでも活躍した。

▲新旧“重量級最強のレスラー”が顔合わせ
「自分の学生時代を思い出すね」と話した谷津さんは、「(今の重量級選手は)目標をしっかり持てるし、自己管理もしっかりしている」と、昔との違いを話す。当時は、重量級の選手で本気になって世界で勝つ、勝てる、と思っている選手は少なかったそうだ。切磋琢磨もないので目標が持ちづらく、「酒とかの武勇伝を自慢したり、毎日を何となくやっている選手は、伸びなかった」と言う。前述の通り、現在は日大だけでも世界を目指せる重量級選手が複数名いるので、期待の気持ちが強いようだ。
ただ、出でいこで参加する選手を含めれば50人を超える選手が2面マットで練習するので、さぼろうと思えば、いくらでもさぼれる状況。吉田には「テーマを持って、どん欲に練習してほしい」と望んだ。自身はモスクワに単身で数ヶ月間の修行に行くなどして実力をつけた。「国際感覚を養うためにも、必要なことなのではないかな」とも話した。

▲吉田アラシと藤田宝星とのスパーリングを、リボウィッツ和青が見つめる。“全日本トップ選手”同士の練習が毎日展開される
吉田は、名誉会長が祝福にわざわざ脚を運んでくれたことに、「本当にありがたいことです。力になります。日大でレスリングをやって、本当によかったです」と感激の面持ち。
2004年生まれなので、谷津さんが一世を風靡(ふうび)したのは生まれる前のことだが、強さは聞いており、糖尿病で右脚を切断しながら全国社会人オープン選手権に出場したことを見ているので、「日大の偉大な先輩」ということは知っていた。「優しい顔だから、強そうに見えないね」と言われたそうで、「強そうな顔になるよう努力します」と苦笑い。偉大な先輩からの“アドバイス”を受け、飛躍を目指す。

▲日大の選手に「組み手は日本選手が上」とアドバイスした吉田アラシ

▲練習中にもアドバイスを送る福田名誉会長

▲弟・吉田アリヤとのスパールングで、危ないシーンを迎えたが(左写真)、ポイントをやらずに脱出(右写真)

▲兄・吉田ケイワン(右)とも壮絶スパーリング

▲三恵海運チーム。18日は日体大へ出げいこ予定