※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
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【9月14日(水)】
大会3日目。前日に続いて12時半の試合開始。この日は女子2階級が行われ、出場選手数が少ないのだから、当初の予定通り2時試合開始でもよさそうなものだが…(案の定、第1セッションと第2セッションの間が2時間近くも空いた)。
会場に入ってしばらくすると、前日にイスタンブールに到着した布施鋼治さんから電話。会場の入口で足止めされているという。言葉の通じるビル・メイさんに同行してもらい“救出”へ。行ってみると、セキュリティーに止められていて、「IDカードを申請する」と言っても、「IDを持っていなきゃ入れるわけにはいかない」という感じで通じない。卵が先か、ニワトリが先かの理論だ。
カメラマンスペースに急きょステージが設けられた
ところが、そのID発行所のコンピューターがダウンしており、「ここで待て」とのこと。久しぶりの世界選手権取材で心配そうな布施さんを置いて記者席へ戻る。20分くらいして様子を見に行くと、動き出したところ。「記者証を見せろ」とか言ってきたが、フリーの記者なのでそんなもの持っていない。
すると「IDは発行できない」とか言って来た。「メールでトルコ協会に申請している」と言い、布施さんの持っていた申請書のコピーを示す。コンピューターで調べてくれ、やっと出してくれた。私たちはコンピューターで調べることもなく、その場で紙に書いた名前のIDを写真なしで出してくれて、「なんだ、これはー」と思ったが、このやり方が本来の姿だ。少しはまともな部分もある。ここまでがお粗末だが。
試合開始。女子がこの日からスタート。48kg級では小原日登美選手が順調な滑り出し。増渕広報担当が、お互いに勝ち進めば準々決勝で当たる北京五輪チャンピオンのキャロル・ヒュン(カナダ)の試合を見て、「強いですよ。タックルをヒュンと上げましたよ」-。どうも最近、筆者の十八番を先に使われる。まあ、保高、増渕ともにオバンになっていっているからだろう。
その小原選手、決勝ではハラハラさせられながらも、見事に優勝し8度目の世界一に輝きました。実は私、小原選手の8度の優勝、すべて見ているんですよ。私ひとりですね、全優勝取材者は(ちなみに、吉田選手、伊調選手、浜口選手の優勝もすべて見ています。記者冥利に尽きますね^^)。最初が2000年のブルガリア大会。まだ女子だけで世界選手権が行われていた時で、小さな会場に2面マットでやっていました。
報道陣に囲まれる小原康司さん
バックステージでは、このあとが戦場になります。報道のインタビューや写真撮影のリクエストを増渕広報担当が聞き、最大公約数でこなしていきます。今回は小原選手の夫の小原康司さんも、入籍後初めて応援にかけつけ、夫婦の感動物語を狙ってのツーショットの撮影やらなんやらで、大変さが増します。
筆者や保高記者も広報委員のメンバーとして、執筆を後回しにして協力しましたが、あわただしく、意思疎通を欠いてスムーズにいかないことも。日本時間は深夜の2時半すぎ。朝刊の締め切りには間に合いません。だからこそ、じっくり取材しようとするので、広報側としてはかえって大変なわけです。
広報の立場からすれば、朝刊の締め切り間際の時間、日本時間の零時とか午前1時前とかに試合が終わってくれた方が楽なんです。記者の皆さんは、選手のコメントを一言でも聞いたら、記者席に戻ってパソコンに向かってくれますので。締め切り前すぎても困ります。締め切り間際の時間に終わってくれるのが、一番楽です^^
今回はそうではありません。時間がある分、じっくり取材ができるわけです。女子の木名瀬重夫コーチの眉間にしわがよったりもしましたが、増渕広報担当はまあ何とかうまく仕切り、戦場が終わりました。増渕広報は宿舎へ戻ってから、木名瀬コーチからねぎらいのラーメンをいただいたそうです。選手を守るために時に厳しいことを言う木名瀬コーチですが、こうした優しいところもあるんですよ。
喜びいっぱいでインタビューに答える小原日登美
もう何年もこんなことをやっています。肉体的にはきつい、でも、優勝した選手の喜びに接する感動を求めて、続けています。負けた選手にも接しなければならない辛い仕事でもありますけど、優勝した選手の喜びの顔を見る感動があるからこそ、それも乗り越えられるわけです。
選手の喜びに数多く接したら、自分の体はプラスエネルギーで充満します。逆に、人の悪口を言いまくり、人の幸せに嫉妬し足を引っ張るような人に接したら、自分の体はマイナスエネルギーでいっぱいになり、同じような人間になってしまうわけです。今日は小原選手から、幸せのエネルギーをたくさんもらいました。
そして、その感動を自分の胸の中だけにしまっておくのではなく、日本で待っている多くのサポーターに伝えたいと思っています。拓大の須藤元気監督が「幸せを感じたら、自分ひとりのものにせず、多くの人に分ける。それは2倍、3倍の幸せとなって、必ず自分のところに戻ってくる」と言っていました。
私たちの文章や写真で、どこまで感動を伝えられるか分かりませんが、レスリング界が感動の洪水であふれ、プラスエネルギーで充満するよう、選手の皆さんには頑張ってもらいたいですね。
今日は哲学っぽくなってしまいましたが、それだけ小原選手の世界V8が感動的だったということです。ありがとう!
![]() ALSOKの大橋監督と応援に来た伊調千春さん |
![]() 東京の敵? 会場には2020年五輪招致の看板が |