※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)
51kg級を制し、優秀選手賞に輝いた宮原
■試練続きだった2~3月
決勝は、まさかの決着となった。第1ピリオドを3-6で落としてピンチを迎えていた宮原だったが、第2ピリオド、開始早々から菅原が宮原の顔面を手で押さえて防御したことによって3度連続のコーション(警告)。わずか43秒で警告失格となり、宮原の手が上がった。思わぬ形でリベンジを果たした宮原は「去年も決勝で敗れて2位だった。やっと世界ジュニア選手権に行ける」と笑みを浮かべて喜んだ。
宮原は2008年のJOCアカデミー入校以来、次世代のホープとして順調に成長。今年3月にアカデミーを卒業し、4月からは東洋大へ進学し、環境を一新してレスリングに打ち込む予定だった。しかし、2月中旬に“事件”は起きた。
国際オリンピック委員会(IOC)の理事会で、レスリングが2020年五輪から除外勧告を受けてしまった。五輪に出場するため中学からJOCアカデミーに入ってトレーニングを積んできた宮原にとって、当初はショックの一言に尽きた。
だが、政治的な動きを含めた世論を見て「署名活動などできるこをとやっていきながら、目の前のこと(試合)をやって、2016年のリオデジャネイロ五輪をしっかり狙えるように」と、前を向くようになったという。宮原は2016年には22歳になる。十分にリオデジャネイロ五輪を狙える年齢だ。
全日本選手権決勝の再戦。宮原は前へ、前へと出た
■後輩を失い、悲しみを乗り越えて臨んだ大会
除外問題のショックから立ち直った3月上旬、宮原に再び悲報が届いた。安部学院高校の後輩だった堀幸奈さんが、修学旅行中に交通事故に遭い、必死の治療を行ったが、3月21日に帰らぬ人となってしまった。宮原は、「非常に辛かったのですが、先日、(告別式で)みんなできちんとお別れしてきました。これからは幸奈の分も頑張っていきたい」と、大切な仲間との別れを乗り越えて、クイーンズに向けて仕上げてきた。
五輪除外問題に後輩との永遠の別れ。味の素レーニングセンターを離れて東洋大の寮に入寮し、練習環境も変わったが、「寮の食事が出ない期間があり、味の素トレセンの食事のごはんが恋しくなります」と、慣れないことがあって、今大会は試練続きだった。
そのためなのか、今大会は初戦から足を取られて失点するなど、宮原らしさ全開とはいかなかった。だが、調子が悪い分、「前には出るようにしよう」と、決勝では果敢に前に出たところを、菅原の反則を誘った形となった。
「内容はまったく納得していないけど…。この(メンタルなど含めて)最悪の状況で優勝できたのは、ちょっと自信になりました。幸奈にも、いい報告ができるかなと思う」と宮原。51kg級の集大成となるシーズンに、仲間の想いも乗せて、幸先の良いスタートを切った。