東京開催の2025年デフリンピックは、日本から初めてレスリング競技に挑んだ大会。聴覚に障がいのある人にレスリングへの道を開いた大会となった。
出場した5選手の中で、唯一、社会人になってからレスリングを始めたのが、グレコローマン87kg級とフリースタイル86kg級に出場した三浦桂吾(日本スポーツ振興センター)。都心に道場を持つザ・デストロイヤーゆかりの「フィギュア・フォー・クラブ」で汗を流している。
結果は、グレコローマンで初戦敗退。フリースタイルでも初戦で敗れ、こちらは敗者復活戦の道がつながった。「何とか1勝を」と思って最終日に会場に入ったとき、観客がたくさんいて熱い応援を受け、チームメートの顔もしっかり見えて、そのときに「落ち着いてやろう」と思って闘った。だが、勝利の女神は微笑まず、無念の結果に終わった。
三浦は「日本(のレスリング選手)が初めて参加するデフリンピック。(支えてくれた人に)何とか恩返しをしたいという気持ちを強く持っていました。きょうの結果には悔しい気持ちを持っています」と、結果を出せなかったことが悔しそう。
今大会を前に、今年1月の全日本マスターズ選手権と7月の全日本社会人選手権に出場して準備してきて白星を目指したが、「相手の方の気持ちが強かったのだと思います」と、世界の壁の厚さを感じた大会となった。
レスリングを始めたのは、38歳のときの2023年12月で、キャリアは約3年。コンタクトスポーツが好きで、「体験練習で相手とぶつかり合う感覚が楽しくて」と、次第にのめり込んでいった。
音が全く聞こえないため、「開始のタイミングが難しい」と言う。特にグラウンドのディフェンスでは一瞬の遅れが大きく響くので、そのタイミングをしっかりとつかむことを意識してきたそうだ。
残念な結果となったが、「皆さんに、ありがとうという気持ちでいっぱいです。チャレンジする気持ちは忘れません。だれでもが夢を持って、追いかけてほしい」ときっぱり。
スポーツが好きで、現在はスポーツ施設に関する仕事をしている。そうした環境にいるので、次の大会を目指す可能性もあるが、「今は休憩したい。そのあと、しっかりと考えたい」と苦笑いし、激闘の日々を終えた。
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