初の東京開催、初のレスリング選手参加となった2025年デフリンピックで、日本チーム最年長の50歳で出場したのが男子グレコローマン60kg級の渡辺健太(若松社寺)。
大会前に負ったろっ骨の負傷もあって初戦でアゼルバイジャン選手に敗れ、「実力が足りなかった」と悔やみながらも、高校時代以来、約32年ぶりの実戦のマットと日本代表としての国際大会参加を「うれしく思っています」と、最後は満足の表情を浮かべた。
9月の合宿で左あばら骨にひびを入れてしまった。若い頃なら短期間で回復した程度のケガだったそうだが、年齢を重ねた現在は思うように回復せず、練習を続けるうちに骨折となってしまう悪循環。この日の試合では開始直後にその部分を悪化させたのか、顔をしかめた。相手の続けざまのローリングをこらえることができず、無念の結果。
試合直前まで満足な練習ができなかったのはハンディだっただろうが、「言い訳になる」として、負けた理由にはせず、潔く負けを認めた。
はしかの高熱によって1歳のときに難聴となり、次第に聴力が弱まって28歳のときに完全に聞こえなくなった。その間、岐阜・岐阜西工高(現岐阜総合学園)時代にレスリングと出会い、国民体育大会で5位入賞を果たすまでになった。
卒業後は宮大工(神社仏閣などの伝統的な木造建築の新築・修復を専門とする大工)の仕事に就き、レスリングは離れたが、日本開催のデフリンピックでレスリングからの出場もあると聞いてトライアウトに参加し、代表権を獲得した。
出場したいという気持ちとは裏腹に、レスリング活動を再開した当初は不安が大きかったと言う。しかし、コーチのていねいな指導で技の感覚を少しずつ思い出していった。きつかったのは減量。ケガと同じで、若い頃に比べると体重がスムーズに落ちてくれず、試合前日からの“あと1kg”を含めて「きつかった」と言う。
それでも、練習相手や手話通訳など多くの人からの協力と応援で頑張ることができ、この日も友人が多く応援に来てくれ、「皆さんに本当に感謝しています」と話す。その思いをだれよりも伝えたいのが、観客席にいた両親だ。「耳が聞こえなくなっても、育ててくれたことに感謝しています」としんみり。
50歳での挑戦を問われると、「挑戦することは大事だと思います。あきらめずに、挑戦することを続けたい」と話したが、自身の選手活動はこれで終わる予定。デフ・レスリングの今後は若い世代に託し、自身はサポートと応援する側に回る予定。現在はソウルで宮大工の仕事をやっており、すぐに戻って業務に復帰するが、「仕事の世界で頑張っていきたい」と話した。
「応援の力で変わっていくと思うので、応援してほしい。デフリンピックをきっかけに、(デフ・レスリングを)やる人が増えていくようになればいいと思います」と、聴覚障がい者のレスリング参加を望んだ。
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