2025.11.18

【特集】レスリングに囲まれた生活で、ベテランズの「世界グランドスラム」を目指す…三恵海運・藤本健太監督

 10月のU23世界選手権で元木咲良(育英大助手)が世界で3番目となる「世界グランドスラム」(オリンピックと4世代の世界選手権制覇)を達成。男子では3人が王手をかけており、この偉業への注目度が上がっている。

 ベテランズで史上初となる全世代制覇を目指すのが、今年の世界ベテランズ選手権で優勝した藤本健太(三恵海運)。2019年にDivisionA(35~40歳) 62kg級で優勝し、今年の大会でB(41~45歳)62kg級を制覇。このあとE(56~60歳)まで各世代1回でも優勝することで、ベテランズの世界ではだれも達成していない偉業を達成できる。Aで優勝しなければ達成できない記録。今年の優勝で、偉業に一歩近づいた。

▲昨年のリベンジを果たし、6年ぶりに世界一に返り咲いた藤本健太=本人提供

 三恵海運レスリング班の監督として、2028年ロサンゼルス・オリンピックへ選手を送って金メダルを取らせる“任務”があるほか、キッズ教室(IKUEIレスリングクラブ)で選手育成も手がけている。「下の世代から上の世代、自分の選手活動と、ここまでレスリングにからんでいる人は、全国でもそういないでしょう」と話し、充実した人生を強調する。

限られた選手しか挑戦できない「世界グランドスラム」

 2年連続の出場となった今年の大会は、初戦敗退で終わった昨年のリベンジを兼ねた大会だった。「あのときから、来年の大会で優勝することを考え、スケジュールを組み立てて練習し、食事にも気をつかってきました」とのことで、気持ちもコンディションも最高の状態。

 昨年の大会は、2019年の大会を制したことで「今度も勝てるだろう、という気持ちがあった」と振り返る。「そういう気持ちでは勝てないんですよね」

 全日本マスターズ選手権は、本気で勝ちに行く選手もいるが、健康維持のためや昔を思い出すために参加する選手もいて、なごやかなムードがあるのは確か。世界ベテランズ選手権は、練習を積んで勝利を目指す選手であふれている。初戦敗退で久しぶりに痛感させられた勝負の世界の厳しさ。忘れることのできない1年間だったと言う。

▲今年7月、風呂場で大けがを負い、右の手のひらを何針も縫ったが、それでも練習は続けた=7月17日、福岡大

 「グランドスラム」という考えは、大会が終わってチームで食事をしたときに出てきて、そこで初めて意識したと言う。「限られた選手しか挑戦できない」と言われ、「そうだな」と思った。特にDivisionAには、シニアの世界選手権に出て数年しか経っていない選手どころか、その年にシニア世界選手権に出ていた選手が挑んでくるケースもある。

 A・Bを制覇した自分にはチャンスがあり、「これからのモチベーションになる」と思ったという。ただ、若い世代のグランドスラムに比べると、期間が長くなる。Division Eの最初の年に優勝するとしても、あと12年後であり、そこで駄目でも最後のチャンスまであと16年。気持ちを続け、体力を維持できるものかどうか。

 だが、この1年間で「目標があるときは、いい時間を過ごせる」ことが分かった。目標を目指すこエネルギーがオリンピック選手輩出とキッズ選手育成にもいかされると思い、気持ちが固まった。

▲優勝した藤本健太監督を2016年リオデジャネイロ・オリンピック金メダリストのウラジーミル・金チェガシビリ(ジョージア)が祝福=本人提供

残影を追っているのではなく、「まったく別の新たな挑戦」

 藤本監督もオリンピックを間近の目標としていた選手だった。大阪・吹田市民教室でレスリングを始め、1995・96年に全国中学生選手権2連覇を達成。大阪・近大附高時代の1999年に高校四冠王(全国高校選抜大会、インターハイ、全国高校生グレコローマン選手権、国体)に輝いて日大へ進学。卒業後はアルバイト生活(所属は近大クラブ)で選手活動を続けたが、湯元健一(現大体大監督)らの壁を破れず、2007年限りで第一線を退いた。

▲1996年全国中学生選手権で2連覇を達成したときの藤本健太監督

 そのときの“残り火”が、ベテランズのグランドスラムを目指すエネルギーの一部でもあるのだろうか? それは、きっぱりと否定した。「オリンピックや世界選手権への未練はありません。完全に区切りをつけています」-

 第一線を退いたあとも練習は続け、社会人の大会に出ていたのは、4歳のときから打ち込んでいたレスリングが自分の人生であり、生活の一部であり、レスリングが好きだから。ベテランズの世界一挑戦はオリンピックを目指した残影を追っているからではなく、「まったく別の新たな挑戦です」と言う。

▲2019年世界ベテランズ選手権で優勝した藤本健太監督=チーム提供

 一方、三恵海運の選手にオリンピック出場の夢をかなえてやりたい気持ちは強い。自分の経験から、世界へ飛び出る選手になるには練習に打ち込める環境がないと厳しいこと痛感している。

 自身の現役時代は、日本オリンピック委員会(JOC)のアスナビ(現役選手の就職支援システム)があったわけではなく、アルバイト生活で夢を追わざるをえなかった。「生活が安定していないと、選手活動は厳しいんです。仕事の疲労が残ったり、情緒不安定になったり…」。

 その経験が、三恵海運の監督として会社と選手の間に立ち、選手が競技に打ち込める環境づくりにつながっている。昨年のパリ・オリンピックでの金メダル2個は、藤本監督の力が大きい。妻(夕起子さん=2016年リオデジャネイロ大会代表、当時三恵海運所属の井上智裕さんの姉)のつながりもあって三恵海運へ入社し、大きな戦力として恩返しした。

「相手に点をやらなければ負けることはない」

 もうひとつ、打ち込んでいるのが、コロナ禍の最中に兵庫・尼崎市にスタートした「IKUEIレスリングクラブ」での選手の育成だ。コロナによって子供がレスリングに取り組もうとする環境がなくなることを懸念し、自身の手でクラブをつくることを決意してつくったクラブ。

 チーム名の由来は、「妻の父(元育英高校レスリング部・井上雅晴監督)が作った育英クラブから譲り受けたもので、このチーム名をずっと残し続けたいという気持ちでお願いし、譲り受けました」と説明する。

 キャンバス1面の4分の1程度のスペースの常設マット。1人が指導するには限界があるので、部員を無理に増やす予定はなく、少数精鋭でやっていく腹積もりだが、古巣の吹田市民教室など近隣のクラブからの出げいしてくる選手もいるので、多いときは10人を超える選手で熱気ある練習が展開されている。

▲藤本健太監督が立ち上げたIKUEIレスリングクラブ=本人提供

 指導方針のメーンは、吹田市民教室の故・押立吉男代表の教えでもある「攻めるレスリング」。選手には「相手に点をやらなければ負けることはない、と伝えています」と言う。

「自分の人生」に追われる幸せのまっただ中

 一方、次女・陽華選手が、1月の全国少年少女選抜選手権に続いて10月の全日本女子オープン選手権U12で優勝した。「コロナ前の1、2年生のときは、1勝したくらいの成績でした。コロナの最中にしっかり練習して、そこで伸びたんです」と言う。2022~24年の全国大会で3連覇を達成。父の期待に添う成績を残している。

▲三恵海運の髙田肇相談役(前)と(後列左から)藤本陽華選手、藤本健太監督、髙田琴惠社長、白石俊次統括=11月8日、堺市金岡公園体育館

 負けても、その悔しさをばねに次の対戦で勝つことが多いそうで、「負けず嫌いなんですよ」と藤本監督。取材の場に同席していた陽華選手も、その言葉ににっこり笑顔。今の目標は12月の全国中学生U15選手権で「5月の全国中学生選手権で負けた選手へのリベンジ」ときっぱり。

 藤本監督は「やる以上は全国チャンピオンを目指して頑張ってほしいです」と話し、直近の目標は次女の全国制覇だが、所属選手のこと、自身のことなど、次々と目標が出てくる。

 「忙しいときほど幸せ」という言葉があるが、それは自分の好きなことでの「忙しさ」の場合だろう。「自分の人生」でもあるレスリングに追われる藤本監督は、最高に幸せな人生をおくっている。

▲今年の世界ベテランズ選手権で優勝し日の丸を掲げる藤本健太監督。残る3世代で再現できるか=本人提供