(文=布施鋼治)
生まれて初めての世界選手権でのウイニングラン。2025年世界選手権の男子フリースタイル70㎏級を制した青柳善の輔(クリナップ)の目には、涙があふれていた。その理由を聞くと、即座にこう答えた。
「世界チャンピオンを目指してやってきました。自分がなりたかったものになれたうれしさですかね。言葉にできないほど、うれしい」
続けて、決勝の朝には現地まで応援に駆けつけた両親から激励を受けたことを明かした。「お父さんは昨日が誕生日だったんですよ。(1日遅れだけど)人生で一番うれしい誕生日になったんじゃないですかね」
昨年の世界選手権(アルバニア)はヌルコジャ・カイパノフ(カザフスタン)と3-5とデッドヒートを展開しての準優勝だった。今年はカノパノフへのリベンジと優勝を狙うしかなかったが、6月の全日本選抜選手権では思わぬ落とし穴が待ち受けていた。U20世界選手権優勝の山下凌弥(日体大)に敗れてしまった。
結局、山下を破った三浦修矢(育英大)とのプレーオフを制して世界選手権出場の切符を手にしたが、青柳の中にはモヤモヤしたものが残った。
「ちょっとふてくされたところも、あったと思います」
そんな青柳に徹底した再起のためのアドバイスを送ったのは、練習の拠点とする山梨学院大で長らく指導を続ける高田裕司・前監督だった。「高田先生から『こう闘えば絶対いけるから』と徹底的に教えられたんですよ。高田先生の教えを守っていたら、本当に世界チャンピオンになれました」
昨年の世界選手権・男子フリースタイル61㎏級で優勝した小野正之助(現ペンシルバニア州立大)と仲がいいこともプラスに働いた。「僕は対戦相手の対策を練るタイプではなかったけど、一昨年くらいから正之助選手と行動することが多くなった。彼は対戦相手やテクニックをすごく研究するんですよ」
青柳は小野から自分の長所や短所についてのアドバイスを受けたという。これだけ心強い後輩はいない。
「そんな感じで今回も対戦相手についての対策をもらいました。それはツルガ・ツムルオチル選手(モンゴル)との決勝でも十分にいきたと思います。対策動画を送ってきたり、試合の流れはこうして作れという話までしてくれたので」
そうした周囲のサポートが、過去2度も敗れているエルナザル・アクマタリエフ(キルギス)との初戦をテクニカルスペリオリティで突破する原動力にもなったのだろう。
ヒーローインタビューで青柳の表情が唯一曇ったのは、日本でも話題になっているイスマイル・ムスカエフ(ハンガリー)との3回戦だった。試合中に頭突き、ヒジ打ち、さらにパウンド(グラウンド時の顔面パンチ)まで浴び、控室に戻る通路でも襲撃を受けながら一度もやり返すことはなかった。これぞスポーツマンの鑑といえるのではないか。詳しくはすでにアップされた記事を参照してほしい(関連記事)。
ムスカエフが「相手が自分の局部を触ってきた」と訴えていることを告げると、青柳は「不名誉な話」と口をとがらせながら反論した。「触ってないです。自分は両方の手を触ってました。ちゃんと言い返しておきます。おかしいんで」
この時点で、ムスカエフが青柳に売ったケンカは泥沼化する様相を呈していたが、直後に和解し、友好的なツーショット写真をSNSに掲載したことで一件落着となった(関連記事)。
来月のU23世界選手権(セルビア)から74㎏級への転向を表明している青柳にとっては、すっきりとした形で新たな勝負ができる。この階級には、大会翌日、青柳に続いて今大会の日本チームとして2人目の世界チャンピオンになった髙橋海大(日体大)がいる。
「国民スポーツ大会(9月29日~10月2日、滋賀)は74kg級に出るんですけど、そこで成國大志さん(2022年70kg級世界王者)や髙橋選手と試合をすることになるかもしれません。11月の社会人オープン選手権も、まだ階級は分からないけど、出場する流れで話はすすんでいます」
青柳の階級転向によって、74㎏級は新たな局面に入ろうとしている。