【9月13日(土)】
世界選手権初日。試合開始は全日同じで午前10時半。取材カードは前日の会見のあともらっているけど、最初は会場の構造などを知る必要があるので、布施記者と、早めの9時半に会場到着の予定で、前の日にスーパーで買った朝食を食べる。しかし。8時すぎに保高幸子カメラマンから「会場にいます」とのラインが入り、入口とか記者席の場所などを伝えてくれる。
しかし、早すぎるのでは? 私のことを「せっかち」と言うけど(これは事実だから反論しません)、同じようなものだと感じた。報道に従事している人間は、こうなるのです。
会場に行くと、観客席のコーナーのひとつが記者・カメラマン席で、その上にテーブルが置いてある記者スペース。そこまでの階段を数えてみると50段! 撮影、選手取材、パソコン操作があるので、その度に往復する必要がある。1日に20往復、多いときで30往復くらいするか。そうなると、1日1,000~1,500段の昇り降り。
来年夏、人生最後になるであろう富士山登山を計画している身としては格好の体力づくりの場だ。
記者スペースにいると、報道担当のチーフらしき人が来て、来場を歓迎するあいさつ。コーヒーの自動販売機は無料にしてあり、軽食だがケータリング(提供)もあるとのこと。3年前のベオグラードのときは、飲み物ひとつなく、イランの記者が「オレ達が報道するからレスリングの存在が各国に伝わる。こんな待遇はない。これからネナド・ラロビッチ会長のところへ訴えてくる」とその場にいた記者全員に演説し、実際に実行してくれた。
そのあと、飲み物が出てきた。翌年も同じ場所で世界選手権があったが、そのときはサンドイッチなども出てきた。日本でも、全日本柔道選手権などではオニギリやサンドイッチが出てくる。これが競技団体のメディア対応なのではないかな、と思う私でした(このあとは、何も書きませんからね。何も書いていないですよ!)
今回取材に来た日本メディアは、私達以外では、共同通信、時事通信、読売新聞(途中まで)。どこも経費節約なのか、いずれもヨーロッパ在住の記者やカメラマン。東京オリンピックの予選だった2019年のカザフスタン世界選手権には、スポーツ新聞もテレビ局も来て、15社くらいいたけど、それに比べると寂しいですね。
ま、東京オリンピック前がバブルであって、レスリングへの世間の関心はこんなものかな。日本では世界陸上選手権をやっているし。オリンピックの金メダルは、マスコミの関心・記事増大にはつながらないことを、関係者はしっかり認識してほしいです。ま、「人気はなくても、勝てばいい」という考えの人に言っても、馬の耳に念仏でしょうけど。
試合開始。会場上につるされている電光掲示板に試合順が映し出されるのは助かる。「次の日本選手まで、あと○試合」と言い合いながら、記事の編集をしつつ日本選手の試合を待つ。
青柳善の輔選手が、3回戦のハンガリー選手からひじ打ちやパンチされるラフファイトに遭遇。審判団はコーション(警告)を取っただけ。イエローカードか、一発レッドカードでしょ! 試合は青柳選手がテクニカルスペリオリティで勝ち、握手をしてマットを下りたので、この問題は解決かな、と思いました。
青柳選手の第1セッションはこれで終わりなので、少しでも話を聞こうと、ビデオカメラを持ってミックスゾーンへ行くが、布施記者をはじめ、だれも来ない。第2セッションが終わってから聞くつもりか。戻ろうかな、と思いながら、選手通路を見たら、ミックスゾーンの手前でさっきのハンガリー選手が青柳選手に襲いかかるシーンに遭遇。
慌ててビデオをオン。しかし、興奮していたのでしょう、いつの間にか指がスイッチを触れたらしく、一時停止になっていて、本当に襲いかかるシーンが映っていない! こんなシーンに出くわしたのは初めてで、冷静にできなかったです。
ハンガリーの2人のコーチが必死に止めていたし、青柳選手は終始冷静で、湯元健一コーチらが守ってくれたこともあって、やり返すこともなかった。でも、すごい迫力。興奮剤でも飲んでいなければ(ドーピング検査があるから、飲んでいないとは思いますが…)、ここまでぶち切れられないのではないかな、と思います。レスリングの強豪選手から本気になってかかってこられたら、命落とす可能性がある、と認識しました。
しかし、コーチに引き離されると、私が撮影していたことに気がつき、向かってこられたんです。一瞬、びっくり。コーチが必死に止めてくれて事なきを得ましたが(そのコーチからも、何撮ってるんだ、みたいに、にらまれましたけど)、一瞬、身の危険を感じました。
そのときもで、ビデオだけは守ろう、ビデオは壊されてもSDカード(実際は一番すごいところが撮影できなかったのですが)だけは守ろうと思ったあたりは、私の体には記者の魂が流れているのかな。でも、例えば昨年のお正月に羽田空港であった日本航空の衝突・火災のとき、機内で動画を回していた人がいましたが、たぶん、私はできないと思います。東北の津波もそうです。撮影より、逃げることを優先したでしょう。それでいいかな、と思います。記者魂より命です。
試合の合間に、ちょっとした買い物で会場そばのスーパーへ。私がレスリングのID(取材)カードを首からぶら下げていたからでしょう、ある人から声をかけられ、Tシャツを見せられました。ケネディ・ブレーデス(パリ・オリンピック76kg級銀メダル)の写真でした。同じクラブか、ファン・支援者なのでしょう。
パリで一躍有名になったジャーマン・スープレックスのシーンを真似ると、「知ってるのか」といった感じで、とても喜んでいました。私が日本人思ったのでしょう(今まで、「イラン?」と言われたことはありますが、中国人や韓国人と思われたことはないですね)、「マサ・オノ(小野正之助)」と言ってきました。61kg級の前年の世界王者を破って世界チャンピオンになり、特別大会でスペンサー・リーと一騎打ちした小野正之助選手は、もしかしたら米国レスリング界で一番知られている日本人かもしれません。
第2セッションは、初日のみファイナルがなく、優勝やメダル獲得も決まらない。翌日からは記事執筆に追われることは目に見えているので、布施記者、保高カメラマン、成國カメラマンと、近くのイタリアン・レストランで、この世界選手権で最初にして最後の晩餐会。ピザは、さすがに大きい。
成國カメラマンに「三つ指ついて迎える、という意味、知っている?」と聞くと(9月12日の日記参照)、「知ってますけど、やったことはありません」と。いずれ「知りません」という人ばかりになりますね。
ちなみに、「午前様」「ビッグバード」「社会の窓」「銀ブラ」「朝シャン」「ナウい」「カンペ」「花金」「E電」「飲みニケーション」「ほこ天」…。すべて知っている人は、間違いなく昭和30年代生まれでしょう! 新聞業界でも、「電話送りするから、原稿受けろ」と言われても、新入社員は何をどうすればいいか、分からないと思います。
《続く》