1996年アトランタ・オリンピック銅メダリストの太田拓弥さん(日体大卒)が立ち上げたダウン症の人を対象とした「わくわくレスリング教室」が、間もなく“成人式”を迎えようとしている。
ダウン症とは先天性疾患の一種で、知的、身体的発達・成長に遅延などが伴う症状。1000人に1人の割合で生まれており、決して珍しい病気ではない。適切な医療、療育、教育によって症状を緩和し、社会人として立派に働いている人も少なくないが、偏見を持たれることも多々あるのが現状だ。
ダウン症のわが子を描いた手記「たったひとつのたからもの」(著・加藤浩美=2004年に松田聖子主演でドラマ化)を読んだ当時早大コーチの太田さんが感動。「社会の偏見に対して肩身の狭い思いをしている子にレスリングを教えれば、前向きに生きてもらえるのではないか」という思いで2005年7月、当時、コーチをやっていた早大の道場で、6人のダウン症を持つ子を相手に教室を開いた。
神奈川、京都、和歌山に賛同者が現れ、「ワクワクワセダカップ」という交流大会を開催するまでに成長。2008年北京オリンピック銀メダルの湯元健一さんや2017・19年世界チャンピオンの須﨑優衣さんらが練習に顔を出すなどしてレスリング界に認知されつつあったが、新型コロナウィルス蔓延によって停滞してしまった。ダウン症の人はコロナ感染のリスクや、かかったときの重症化率が高いため、これはやむをえなかった。
2021年秋、太田さんの新しい指導先となった中大の協力で練習を再開。都心にある格闘技ジム「アカデミア・アーザ」でも練習ができるようになり、2ヶ月後には須﨑さんが東京オリンピックの金メダルを持って練習に訪れるなど、力強く再スタートを切った。
部員が増えたことで同所は手狭になり、太田コーチ1人の指導では限界も出てきた。昨年4月、「ワセダ・クラブ」の鈴木啓仁代表の骨折りもあって古巣の早大レスリング場にUターン。同クラブのビギナー選手も加わって合同で練習することになり、週1回の練習は熱を帯びている。鈴木代表は「ダウン症の子と接することで、差別の気持ちを持たない心を養いたい」と、その効用を話す。
昨年11月には和歌山・那智勝浦町で、京都立命館チームと和歌山市在住の各 1名と保護者も参加し、総勢31人で2泊3日の合宿を実施。今月18日には町田市にあるスポーツクラブ「ZELOS」(2006年世界3位の岩崎襟代表=旧姓坂本、夫は2005年世界選手権代表の岩崎裕樹さん)で教室がスタート。20年の区切りを機に、再び“全国区”を目指した活動が活発化してきた。
太田代表は「立命館チームには、すでに15~16人います。福島のクリナップ・チーム(いわき市)にも3人ほどいるそうで、今年は多くのチームによる合同練習や、スパーリング以上試合未満といったイベントを計画しています」と言う。再来年には「ワクワクワセダカップ」を再開することが目標だ。
同代表はかつて、「スペシャルオリンピックス」(知的障害者のオリンピック)採用を目指す気持ちもあり、世界的普及への意欲も持っている。そのためには、まず国内での基盤づくりが必要。今はベースづくりの時期で、多くのクラブでダウン症の人を受け入れてくれることを望んでいる。「国民スポーツ大会やインターハイでわくわく選手の試合披露を依頼して認知してもらい、普及を目指すのもひとつの方法」とも話す。
20年もの間、何がその気持ちを後押ししてきたのか。太田代表は「レスリングという競技をいろんな人に知ってもらいたい、という気持ちなんだと思います」と話す。オリンピックで金メダル8個を取る競技であっても、人気の面では野球やサッカーなどに大きく遅れをとっている。「オリンピックで金メダルを量産しながら、全日本選手権での観客席は空席が目立つ、では寂しすぎますよ」
自身の現役時代、ロシアやイランへ遠征したが「観客席は満員で、すごい盛り上がりなんです。アメリカのカレッジレスリングもすごい。日本でもレスリングをそんなふうな人気スポーツにしたいんです」と言う。そのためには社会のあらゆるところにレスリングを広める必要がある。