※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
西日本学生リーグ戦で悲願の初優勝を遂げ、強豪大学の仲間入りを果たそうとしている中京学院大。個人でも、2016年リオデジャネイロ五輪を目指して卒業後も闘いを続けることを決めた選手がいる。10月の西日本学生選手権のフリースタイル55kg級で大会史上15人目の4連覇を達成した桑木黎(右写真)。リーグ戦初優勝の喜びに浸る間もなく、全日本選手権へ挑戦する。
一般自衛官の試験に合格し、来春の入隊を決めている。その後は体育学校でオリンピックを目指す選手の仲間入りを目指すが、そのためにも全日本選手権で好成績を残したいところ。「西日本で4連覇したと言っても、森下選手(史崇=日体大)や高橋選手(侑希=山梨学院大)ら上位の壁は破れていない。まだ(大会まで)2週間あります。馬渕監督の指導のもとでしっかりと技術を学び、臨みたい」と燃えている。
■レスリングの奥深さを教えてくれた馬渕賢司監督
「東日本に追いつき、追い越せ」というのは西日本レスリング界の長年の夢だ。今年のロンドン五輪では、グレコローマン66kg級で徳山大出身の藤村義(自衛隊)が日本代表として出場。1984年ロサンゼルス五輪フリースタイル100kg以上級の石森宏一(大体大卒)以来の五輪出場を実現させた。
リオデジャネイロ五輪へ向けては、グレコローマン60kg級の城戸義貴(徳山大卒)、フリースタイル74kg級の鎌田学(中京学院大)、同120kg級の福井祐士(天理大卒)らが自衛隊の“プロ集団”に身を置いて五輪出場を目指している。いずれ桑木が加わるだろうが、西日本に希望を与えるためにも、藤村が28年ぶりに切り開いた道を受け継ぎたい。
ただ、桑木自身も認めているように、大学レスリング界では上位に顔を出していた選手ではない。東の強豪選手との差は? 「負けていつも思うのは、経験の差です。ちびっ子の時からやっている選手と高校からやっている自分とでは、どうしても経験の違いを感じます」。
米満達弘が証明したように、高校からレスリングを始めても日本代表になってオリンピックで金メダルを取ることは可能だ。しかし、米満も大学4年生の時は日本代表になる実力はついていなかった。「キャリア7年」というのは基礎づくりの期間。ここからが飛躍する時期だと考えても間違いではないだろう。
リーグ戦最後の試合でフォール勝ち。気分をよくして全日本選手権へ臨む
米満と同じく中学までは柔道をやっていた。レスリングへ変えたのは、「兄と姉が柔道をやっていて、結構強かったんです。比べられるのが嫌で、レスリングを始めました」。岐阜・岐南工高時代は、柔道技を使ったグレコローマンで力を発揮し、国体で決勝まで進み、田野倉翔太(東京・自由ヶ丘学園高=現日体大)に敗れて2位の成績がある。
全国一を目の前にして逃した悔しさもあり、中京学院大でレスリングを続けた。馬渕賢司監督の指導は「勝つためというより、レスリングの奥深さを教えてくれる指導でした。それでレスリングが好きになりまして…」。
“好きこそものの上手なれ”ということわざがあるように、好きになって打ち込めば上達するもの。リーグ戦で優勝したかったのでフリースタイルの練習が多く、いつしかフリースタイルの方が得意になったが、西日本インカレ4連覇という成績はレスリングを楽しく思う気持ちによって達成できたものだろう。
昨年の全日本学生選手権でベスト8に終わったあと、「卒業後もやりたい」と思うようになった。中京学院大からは3年先輩の鎌田誠(前述)が自衛隊へ進んでレスリングをやっていたほか、高校時代の2年先輩の清水早伸がグレコローマン55kg級で活躍していた。卒業後もレスリングを続ける道があることを身近に感じることができ、気持ちは自衛隊入りへと傾いていった。
合格が決まったあと、清水先輩からは「来るからには、覚悟して来いよ」と言われ、身が引き締まる思いだったというが、「応援してもらって、ありがたく感じます」とも。その気持ちにこたえるためにも、全日本選手権である程度の成績を残し、体育学校のコーチに存在をアピールしておきたい。
西日本インカレ4連覇に続いてリーグ戦での優勝と、最高の形で大学最後の年を終えようとしている桑木。最後の大会で不本意な内容だったら、“いい年だった”とはならない。西日本の意地を見せ、最高のパフォーマンスが期待される。