※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
真っ先に胴上げを受けた岐阜県の丸山会長
丸山会長がこのうえない笑顔で胴上げを受けた後、「やっぱり受けなきゃダメか」といった表情の馬渕監督がマットへ。「絶対に落とすなよ!」と選手に“懇願”した馬渕監督の大きな体が、3度宙を舞った。創部13年目。決勝に臨んだこと4度目。届きそうで届かなかったリーグ戦の優勝が、やっと手に入った。
「ありがとうございます」「うれしいです」。無口というわけではなく、むしろ話好きな馬渕監督だが、優勝の喜びに関しては単発の言葉しか出てこない。それだけに、喜びの大きさを感じることができた。しかし、すぐに「今まで優勝候補に挙げられることがあっても、勝たせられなかったことは、しっかり受け止めなければなりません」と続け、優勝までの道を理路整然と語ってくれた。
■最初の決勝進出は立命館大に完敗
「いろんな方にサポートしてもらいました」。最初の胴上げを丸山会長に譲ったのも、周囲に対する感謝の気持ちからなのだろう。「今年、地元(中津川市)で国体があったことで、多くの人から支援を受けました」と感慨無量。この日も地元クラブの中学生選手を含め、かなりの人が大阪まで応援に来てくれた。地元国体へ向けてのレスリング熱の高まりと物心両面での支援が、チームの実力をアップさせたことは間違いない。
優勝決定直後の中京学院大ベンチ。中央座っているのが馬渕監督
同年秋季は予選全勝で決勝に進んだものの、やはり立命館に同じスコアで惨敗。しかし馬渕監督は「全勝で決勝に進めた分、わずかに前進したと思います」とコメントし、かすかな手ごたえを感じた様子だった。
その勢いは翌年に持ち越され、春季も決勝に残った。この時は日本文理大が相手。0-3から3-3と追い上げ、最後の試合で大激戦。第3ピリオド、中京学院大の選手が一瞬リードを奪うも、その直後にフォールの体勢に持ち込まれて両肩をマットについてしまったという悔やまれる負け方で優勝を逃した。
「勝負どころで勝たせられなかったのは、監督の責任です。詰めが甘かったことに責任を感じていました。そこをどう克服しようか、いつも考えていました」。悔やまれる負けだったものの、そんな悔しさをばねにした苦労が徐々にチーム力をアップさせていった。
■個々の実力を比較すれば優勝は確実だったが…
中津川から駆け付けてくれた応援団にあいさつ。最高の御礼ができた
「結果的に5-2でしたけど、クリンチを取った試合もあったし、4-3でどちらが勝ってもおかしくない内容でしたね」。そんな接戦のものにしただけに、「よくやってくれました」と選手をねぎらった。クリンチのボールピックアップは中京学院大に出ることが多かったこといについては、「神様が味方してくれましたね」と笑う。
現在、西日本の一部リーグで日体大卒の指導者が指揮している大学は立命館大、日本文理大、中京学院大の3チーム。“胴上げ”の経験がなかったのが馬渕監督ただ一人だった。やっと先輩監督に肩を並べたわけで、ひとつの壁を乗り越えたこれからが楽しみ。
国体で燃えた岐阜・中津川。その火を消すことなく、何倍も真っ赤に燃えてほしい。
■財津拓弥主将の話「自分の力を出し切れば優勝できると、どの選手も思っていた。その結果だと思います。決勝で最初から2連勝して、このまま勝てると思った。そう簡単には勝たせてもらえなかったけど、みんな力を発揮してくれたので、よかった。春負けた時から、この日の優勝を目標にやってきました。監督やコーチからとことん追い込んでもらい、やるだけの練習はやったと言えます」(写真左=決勝で闘う財津主将、3勝目をマーク)