※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
拓大レスリング部の元監督で、みぶチビッコ教室の疋田周二代表が10月31日、神奈川県の入院先で心臓疾患のため死去されました。61歳。
通夜は11月3日(土)午後6時から、告別式は4日(日)午後1時から、いずれも「おおのホール壬生国谷」(〒321-0214栃木県下都賀郡壬生町大字甲字東原3753-5 電話0282-82-0186、東武宇都宮線「国谷」駅から徒歩10分)。喪主は長男・拓也さん。
疋田さんは柔道を経て東京・帝京高校でレスリングへ転向。拓大では重量級選手として活躍し、1972年全日本選手権フリースタイル100kg級2位などの成績を残した。国体は10度出場したほか、クレー射撃でも2度出場。
1985年に「みぶチビッコレスリング教室」を立ち上げ、少年少女選手の育成にも着手する一方、1987~93年に拓大レスリング部の監督を務めた。柔道整復師として、「柔道整復師は骨だけ接げばいいんじゃない。人と人をつなぐのが仕事だ」を理念とし、医療のネットワークを構築してきた。