※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治 / 撮影=矢吹建夫)
「僕のレスリング人生は、ちょうど30年目。区切りもいいので、今大会で引退することを決めていました。今はまだ、ちょっと複雑だけど、(現役生活が)終わったという気持ちが最初に浮かびました」
2023年全日本選手権の初日(12月21日)、男子グレコローマン72㎏級の井上智裕(FUJIOH)がラストマッチに挑んだ。結果は準優勝。冒頭の言葉は、決勝終了直後に発せられたものだ。「初戦で負ければ、それで最後だった。一試合一試合全力でやろうと思いながら闘っていました」
角出直生(東洋大)との1回戦では足に違和感を訴え、試合が中断するというアクシデントも。井上は「足がつってしまった」と打ち明けた。「減量もうまくいっていたし、調整中も栄養をとるなど、しっかりと対策をしていたつもりだったけど、なってしまいましたね。ただ、1回戦が終わってからはしっかりとケアしていたので、準々決勝以降は問題なかったです」
初戦同様、その後も若い世代の選手と胸を合わす機会が多かったことに、井上は「初めて当たる選手が多かった」と感慨深げだった。
「(接戦が多かったので)僕が落ちたのか、それとも周りが伸びたのか。たぶん前者が多かったのでしょう。いずれにせよ、将来楽しみな選手が増えてきたと思いました」
もう一方のブロックから勝ち上がってきたのは、今年9月の世界選手権(セルビア)で初出場ながら5位に入賞した原田真吾(ソネット)だった。まさに新旧日本代表対決が実現したわけだが、時の流れは如何ともしがたく、井上はグラウンドでローリングとリフトを決められ、0-9のテクニカルスペリオリティ負けを喫した。
井上は「あそこまでやられるとは思っていませんでした」と潔く完敗を認めた。「ある意味引導を渡されたというか、あれだけスパッとやられてよかったのかなと思います。逆に接戦だったら、もっと悔しがっていたと思う。自分としては出し切って終われたので、よかったと思います」
原田とは6月の明治杯全日本選抜選手権の準決勝でも対戦しているが、大きな成長を肌で感じたという。
「前回闘ったときと比べると、自信にあふれていましたね。自分のコンディションは良くも悪くもなくという感じで、準決勝まではイメージしていた動きができていたと思う。でも決勝では押さえるところは押さえ、取るところは取る、という動きができていなかったように思います」
最も思い出に残る大会を聞くと、男子グレコローマン66㎏級で5位に入賞した2016年のリオデジャネイロ・オリンピックを挙げた。
「いろいろな人が現地まで応援に来てくれた。自分は努力するけど、応援がないと(最後の一線で)頑張れない。そういうことが一番感じられた大会でした」
今後は一社会人として働きながら、神奈川大のコーチとして後進に育成に励むつもりだ。
「日本だけではなく、世界でトップを取れるような選手を育てたい」
今年10月、井上は世界ベテランズ選手権・男子フリースタイルDivisionA 78kg級に出場し、銀メダルを獲得している。世界ベテランズ選手権の活動は継続?
「いや、今はそれもちょっと考えていないです。やるからにはきちんと身体を作らないといけない。お腹が出た状態で試合には出たくないじゃないですか」
自分のための練習は続ける?
「いえいえ、もう(しないでしょう)。これからは学生のために尽くしますよ」
そう語ると、井上は晴々とした微笑を浮かべた。