※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治)
「正直、練習に身が入らなかったときもあります。でも、最後に、お世話になった方々に恩返ししたいと思い、国体とアジア大会には出ようと思いました。今大会は2位だったけど、少しは恩返しできたと思います」
木下貴輪(クリナップ)はあふれる涙を抑えながら話を結んだ。
2023年アジア大会最終日(10月7日)。この日、他の階級の日本代表が次々と敗れ去っていく中、男子フリースタイル74㎏級で木下はとんとん拍子に勝ち進んで行った。
準決勝では、2021年東京オリンピック3位で大会連覇を目指すベクゾド・アブデュラフモノフ(ウズベキスタン)と激突した。激闘が予想されたが、第1ピリオドから木下は低いタックルからのバックポイントで4点を奪う。第2ピリオドになっても、粘るアブデュラフモノフのバックを奪って点数を追加し、堂々決勝に進出した。
もう一方のブロックから勝ち上がってきたのは、昨年の世界選手権3位のヨネス・エマミチョガエイ(イラン)。アブデュラフモノフを倒した勢いで、長谷川敏裕(三恵海運)に続く男子フリースタイルでの優勝が期待されたが、エマミチョガエイは第1ピリオドから木下の低い片足タックルを、がぶりや脇差しでことごとく切っていく。
その結果、木下は徐々に試合の流れを奪われ、第1ピリオドが終わった時点で4点のビハインドを余儀なくされた。
試合後、木下は唇を噛んだ。「差してくることは分かっていたけど、そうされてから、全然対応できていなかった。そこで自分の攻めの形を崩されてしまった」
第2ピリオドになっても、木下は突破口を見出せない。準決勝までは有効だった片足タックルで再三アタックしても、足を触らせてもらえない。逆に、エマミチョガエイは差しに行くふりをして別の攻撃を仕掛け、追加点に結びつけた。終わってみれば0-9。完敗だった。
「点数ほどの実力差はないと思うけど、完封されるような試合になってしまった。自分の攻めが失敗した後に詰められ、差されるという感じでやられてしまった」
奇しくも、この日行われた男子フリースタイル4階級の決勝は、すべてイラン代表が勝ち上がり3階級を制覇。前日行なわれた2階級でも1階級を制している。今大会、女子で台頭した北朝鮮以上に、男子フリースタイルではイランの活躍が目立っていた。木下もイランならではの強さを肌で感じていた。
「差し、押し、プレッシャーの3つの強さを感じました。国内では相手のプレッシャーに負けることはないけど、海外では、イラン選手のそれに時々負けてしまう。ああいうプレッシャーをかけてくるタイプは日本にはいない」
それだけではない。木下は控室でチーム・イランの強さを目の当たりにしたことも明かす。「イラン・チームは、今回の控室での行動を見ても、まとまりがあるというか、みんなで盛り上げている。決勝前も出場する4名を集めてミーティングをしていました。チームで本気でレスリングに取り組んでいるという姿勢を感じました」
冒頭で「練習に身が入らないときもあった」と語ったのは、先月の世界選手権(セルビア)で74㎏級の高谷大地(自衛隊)が3位を獲得し、早々とパリ・オリンピック代表を手中にしたからにほかならない。
2021年東京オリンピックのときには乙黒圭祐(自衛隊)らと日本代表の座を争ったが、届かなかった。東京大会に続いてオリンピック出場の機会を逸したことで落ち込んだ木下を救ったのは、アジア大会の2週間前に地元・鹿児島で行なわれた国体での優勝だった。
「国体に出場することで、いろいろな人に支えられていることを実感しました。オリンピックの道は(再び)断たれてしまったけど、そこで折れずに、残りの大会をしっかり闘おうと考え直すことができたのは、鹿児島国体のおかげだと思っています」
木下にとっては、今年4月のアジア選手権に続いての銀メダル獲得だった。自ら進退に言及する発言もあったが、国際舞台で活躍する感触をつかみかけていることも事実だ。木下はこうも言った。「今回の課題を見直して、次につなげられたらいいなと思っています」
次戦は12月の天皇杯全日本選手権。アジアの頂きに二度も迫った男の闘志に、再び火はつくのか。