※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治)
2023年世界選手権の女子53kg級で2年ぶり2度目の優勝を決めると、藤波朱理(日体大)はセコンドに就いていた父・俊一コーチに笑顔でタックル。会場からあたたかい声援を受け、父は藤波にウイニングランのための日の丸を手渡した。
そのとき、藤波は父に言った。
「一緒に回ろうよ」
幼少の頃から指導を続けている藤波俊一コーチにとっては、これ以上うれしい申し出はない。最近は、“遅れてきた反抗期”とも受け取れる発言をすることもあった朱理だが、父に対するリスペクトは忘れていなかった。愛娘からの予想外のサプライズに、最高のえびす顔で、ときにうっすらと涙を浮かべながらマットを一周した。
「まさかああいう形で走ることになるとは…。今まで見たことのない景色を見ることができた。世界一を実感しました。感無量です」
優勝争いは、世界中の大方の予想通り藤波が制した。とはいえ、いずれの試合もワンサイドというわけではなかった。ルシア・イェペス・グズマン(エクアドル)との準々決勝。勢いのある両足タックルからのテークダウンなどでいきなり5点を奪われるというピンチに見舞われた。
グズマンとは今年2月の「ザグレブ・オープン」(クロアチア)や2021年の世界選手権でも闘っており、いずれも藤波が勝利をおさめている。当然、「藤波有利」と考えるのが普通だが、グズマンは伸びしろだらけの逸材だった。
それでも、藤波はすぐに反撃を開始。タックルで着実に2点ずつ返す攻撃を続けて逆転に成功する。第2ピリオドになると、得意のアンクルホールドで追加点を重ね、最後はグズマンが攻撃を仕掛けてきたところをカウンターで崩してフォール勝ち。5点差を難なく跳ね返すという実力者ぶりを見せつけた。
試合後、藤波はグズマンの成長に驚きを隠せなかった。
「今までやったことがないというか…」
パリ・オリンピックでは、間違いなく藤波の好敵手としてリストアップされる選手になってくるのではないか。だが、好敵手はいた方がいい。
決勝ではバネサ・カラジンスカヤ(AIN=ベラルーシ)と初めてぶつかった。同選手は世界選手権でも2度優勝した実績を持ち、登坂絵莉と向田真優(現姓志土地)を撃破して世界一に輝いた“隠れた日本人キラー”。藤波とは初対決となったが、序盤から藤波はスピーディーなタックルで点数を重ねていく。
カラジンスカヤにアンクルホールドは防がれたが、アンクルがダメならタックルがある。再び相手の意表をつくキレのあるタックルで攻め込んだ。
「力強いというか、日本にはいないタイプだと思います。いろいろな方々にアドバイスをいただき、自分のレスリングをできたかなと思います」
一度は10-0で試合終了が告げられたが、相手側のチャレンジが認められ、8-0から再スタート。それでも流れが変わることはなく、藤波が10-0のテクニカルスペリオリティで圧勝した。
「(試合続行も)わたしは気持ちを切らさずに闘うだけでした」
その後の表彰式で金メダルとチャンピオンベルトが贈呈された。藤波は最高の笑顔を浮かべた。「これが欲しくてやっていたので」
一方で、俊一コーチは目を細めた。「(2度歓喜したので)2度も優勝を味合わせてもらいました」
昨年は出場が決定していたにもかかわらず、直前のけがで出場を見合わせざるをえなかった。それだけに表彰台の一番高いところから見る風景は格別だった。
「ああ、優勝できたんだな、と思いました」
試合後、藤波はトーナメントを勝ち抜く中での心境も打ち明けた。
「正直、今大会は楽しもうと思っていました。でも、あんまりそうすることはできなかった。やっぱりプレッシャーを感じて足が動きづらかったり…」
オリンピックへの出場権がかかった大事な大会に、19歳の気持ちは揺れていた。
「でも、それを乗り越えたことで、ひとまわり成長できたんじゃないかなと思います」
初めてのオリンピックに向け、藤波はまたひとつ大きなキャリアを積んだ。