※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・写真=布施鋼治)
「オリンピックより緊張しました」―。
2012年ロンドン・オリンピック男子フリースタイル66㎏級で金メダルを獲得した米満達弘・自衛隊コーチが8月8日、学習院大で計4時間半に及ぶ3部制の講座を初めて開催した。学習院大で夏に行なわれる「学習院さくらアカデミー」の中で実現した講義で、米満にとっては初めての本格的な対面講座となった。
開始前に、周囲に冒頭の言葉をもらしたというが、偽らざる本音だろう。ただ、そんな緊張とは裏腹に、自己紹介から始まり、オリンピック、現役時代、コーチングと4つの章で分けられた話はいずれも熱がこもったもので、聴講生たちは熱心に耳を傾けていた。
「オリンピックはもう11年前のことになるけど、自分にとってはつい最近のことのように思えます」
講義では、プロジェクターにロンドン・オリンピックでの米満コーチの激闘も映し出され、キューバから帰化したカナダ代表との準々決勝で口の中に手を入れられたときの秘話も披露した。
「相手が、(米満が)噛んだと思わせるため、自分の口に手を突っ込んできた。海外には、どうにかしてでも勝ちたい、という選手が多い。試合中、僕は無意識のうちに噛まないようにしていました。手を突っ込まれたからといって、自分から(ラフに)反撃しようという気持ちはなく冷静でした。このあと、彼は目に指も入れてきました。それでも僕は何が何でも勝ってやるという気持ちではなく、フェア(な流れ)の中で勝ちたかった。ただ勝つだけではなく、条件をつけて勝ちたかった」
▲共同通信で配信されてグラウンドでのシーンが“有名”だが、スタンド戦でも口に手を入れられている(時間は、こちらが先)。インターバルのとき、やや感情的になったように見えるが、ぐっとこらえた(撮影=矢吹建夫)
現役時代は頭突きを受けることも日常茶飯事だったが、米満は「そういうことをやって勝つのはダサい」と断罪した。
「ずるい行為をやっても通用しないことを、(自分が勝って)証明したかった」
オリンピックと世界選手権の違いについての解説も興味深かった。
「オリンピックは4年に一回なのに対して、世界選手権は1年に一回と期間の違いがある。世界選手権はその競技で誰の技術が一番なのかを競い合う。一方、オリンピックの方はその技術の競い合いを観てもらって、何を感じてもらうかが大事になってくる」
オリンピック憲章の話題になると、さらに饒舌になり、「オリンピックはスポーツのイベントだと思っていたけど、実はそうではない」と強い口調で説いた。「オリンピズムは世界の発展、国際理解、平和な社会の実現を目指すもので、心身共に調和のとれた人間の育成を目指している」
オリンピック憲章の意味を深めてもらうために、米満コーチはロンドン・オリンピックで獲得した金メダルとともに、同大会に参加したオリンピアン全員に贈られた小さなメダルも持参した。
「対象は(出場する)選手のみではなく、誰にでも当てはまる。誰がメダルを取るのかが重要視されているけど、お互いの相互理解が一番重要なんです」
そうしたマインドは、米満がなぜレスリングをやっていたのか、という理由にもつながっていくことだった。
「自分は高校生からレスリングを始めた。現役中は、成績より自分のテクニックが向上していくことが楽しみだった。それがレスリングを続ける要因になっていた」
「現役時代はポイント差だけではなく、相手の心をいかに折るか、いかに相手をあきらめさせるかを考えながら戦っていました」
ほかにも現役時代の米満の努力を具現化した言葉「Little by little」(一歩ずつ着実に)、高校時代に勝てなかったライバルの存在、目標の立て方、コーチングなど話題は尽きなかった。
オリンピックに向け、いかに心身を作り上げていったか、という経験談も語っていたので、パリやロサンゼルスを目指す現役選手にも耳を傾けてほしい濃い内容だった。
レスリングの普及のためにもシリーズ化してほしい。