※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=布施鋼治)
主役は、2021年東京オリンピック女子62㎏級金メダリストの川井友香子(サントリー)でもなければ、昨年12月の全日本選手権を制した石井亜海(育英大)でもなかった。明治杯全日本選抜選手権大会第2日(6月16日)。女子68㎏級では、昨年の世界選手権女子65㎏級を制している森川美和(ALSOK)が、決勝で川井を3-0で下して、この階級での初優勝を果たした。
「半年前の全日本選手権の決勝で石井選手に負けている。この大会でリベンジするためにやってきました。負けたら、もうパリはないと思っていました」
意中の相手である石井とは準決勝で対戦し、8-5でリベンジを果たしている。第2ピリオドに入った直後、森川が決めたタックルが勝負を決めた一戦だった。
「ここしかないと思って、バーンと行きました。キャッチできた時点で、取らないともったいない、と思いました。ほとんど直感ですね。自分でも久しぶりにいいタックルに入れたと思います」
敵は石井だけではない。一昨年の世界選手権(ノルウェー)の準決勝で東京オリンピック金メダリストのタミラ・メンサ・ストック(米国)からフォール勝ちという大金星をあげた宮道りん(一宮運輸)が負傷欠場したことで、この階級はA組3名・B組4名によるノルディック方式で予選が行なわれ、混戦を誘発した。
この予選リーグで、森川は今大会から階級を上げてきた川井に辛酸をなめさせられている。
「川井選手とは過去3回くらい対戦しているけど、一度も勝ったことがない。初日に川井選手に負けた直後は落ち込みました」
失意の森川を、日体大の松本慎吾監督やコーチ陣は力強く励ました。「とにかく気持ちを切り換えろ。優勝の望みはまだある。あとの試合を全部勝てばいい」
森川は、背中を押された気になった。
「ノルディック方式に救われた。おかげで決勝トーナメントは強い気持ちで闘えました」
この方式は、予選リーグの1位と2位の選手が決勝トーナメントに出場できる仕組みになっている。B組を2位で通過した森川は固い決意を胸に抱きながら、まずはA組1位通過の石井との再戦に臨んだ。
「ここで負けたら、私にはパリも何も残らない。やるしかないと開き直りました。この準決勝が山場だったと思います」
クロスゲームとなった準決勝で疲労が残らなかったといえば、うそになる。しかし、ここでもコーチ陣からの「ここまで来たら、行こう」というポジティブな言葉に励まされ、森川は決勝の舞台に立った。持ち前の前向きな思考も味方になった。
「自分の力を出せなかったら、もったいない。最高の状態で思い切り行けば、勝てると信じていました」
気持ちが乗れば鬼に金棒。たった1日で、森川は川井にリベンジを果たした。「川井選手は動きが軽くてうまい。予選で決められたタックルは、取られた方が言うのもなんだけど最高のタイミングでした。ただ、自分も両足タックルは取れていたので、決勝では入ったあとの処理をイメージしながら闘っていました。予選でもつれたときには、もうちょっとポイントを取れるかな、という感覚もあったので」
優勝を決めた直後には、伊調馨コーチから『よく頑張った』とほめられた。
「普段はそんなことを言われないんですけどね(微笑)」
7月1日には、世界選手権への出場切符をかけたプレーオフで石井との決着戦に臨む。
「ここで勝ったら、パリに近づく。今大会で見つかった課題を少しでも修正し、最高の自分で勝てるようにしたい」
誰からも愛される明るい性格で、前で出る圧力に秀でている23歳は、世界選手権まで“電車道”(相撲用語=立ち合いから一気に土俵外に持っていくこと)を突き進む。