※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
周囲にコンビニや娯楽施設はなく、自然に囲まれた環境。レスリング場へは長い坂道を登って行く…。金メダル坂で有名な女子レスリングの“虎の穴”、新潟・十日町市の合宿所のこと? いや、周囲には海が広がっている。
島根・隠岐島にある隠岐島前高校のことだ。隠岐島は、島根半島の北方、約50kmの日本海に浮かぶ諸島の総称で、4つの大きな島と他の約180の小島からなる。島前(どうぜん=3つの島)と島後(どうご)に分けられ、島前にある唯一の高校が隠岐島前高校。
この地でレスリングに情熱を燃やし続けるのが、同高~日体大卒(2003年3月)の河内龍馬監督。部設立のときから受け継がれている「愛さる人間になれ」という言葉(部訓)を胸に、母校へUターン就職。いったん松江工高勤務となったあと、2013年から再度、母校へ転勤。地元愛を胸に、「隠岐島前高校からオリンピック選手を誕生させたい」と熱いメッセージを発信している。
同校からはこれまでに、1994・96年に全日本王者に2度輝いた佐々木秀幸(日体大卒)や、2004年全日本選抜選手権優勝で、「あと1勝」でオリンピックだった安原隆(国士舘大卒)らの強豪が生まれている。最近では、河内監督の教え子である中村勇士(現日体大)が2015年全国中学生選手権を制し、隠岐島前高時代の2018年全国高校選抜大会で島根県勢初の栄冠を勝ち取った(関連記事)。
昨年4月、2021年全日本大学グレコローマン選手権67kg級を制した二俣友明(日体大卒)が教師として赴任。この4月には、同校を卒業生して育英大でレスリングを続けていた向山凪(むこやま・なぎ)さんが町役場にUターン就職予定。東日本学生選手権優勝の経験もあり、女子選手の育成に力を貸してくれそう。若い指導者が加入したことで、河内監督の王国づくりへの思いが再燃している。
島根では、2025年に雲南市でインターハイ・レスリング競技を開催することが決まっており、2030年にも同市で国民スポーツ大会が予定されている。これらも気持ちが高まっている要因。4月から海士中学校にレスリング部がスタートすることになり(河内監督が指導引率を受け持つ)、一貫強化へ向けての体制もできつつある。
隠岐島のキッズ教室としては、河内監督が代表を務める「隠岐島前ジュニア」と、島後にある「OKI RAINBOW WRESTLING CLUB」があり、前者からは昨年の全国少年少女大会の女子5年+48kg級で名越夏芽選手が優勝するなど、ときに全国チャンピオンが生まれている。
“レスリング文化”はかなり根強く存在し、「レスリングは(全国で)勝つでしょ、みたいに思われている面もあるんです」とのこと。ただ、中学で競技が途切れてしまう全国共通の悩みもあり、島外の高校へ進学する生徒も多い。中学にレスリング部ができることで、その課題の出口が見えつつあり、若い指導者の加入によって確固たる上昇ムードをつくりたいところ。「結果を出さないとなりません。実績を出して継続することが必要です」と話す。
期末試験が終わった2月末、2面マットのレスリング場には7人の男子選手と4人の女子選手が汗を流していた。入学以前から継続してレスリングをやっていたのは女子の3選手で、あとは高校入学後にレスリングを始めた選手。それでも、1月末の中国高校大会の学校対抗戦で5位に入り、3月27日から新潟市で行われる風間杯全国高校選抜大会への出場を決めている。
指導する二俣コーチは、岐阜・岐南工業高校へ進んでからレスリングに取り組んだ選手。高校時代と大学2年生までは特筆すべき実績はないが、そこから大学最後の年に大学王者へ駆け登った。先を行く選手に追いつくことは、並たいていの努力では不可能ということを知っている。一方で、高校入学後にレスリングを始めた選手の気持ちも理解でき、追いつく方法も経験している。
「高校に入ってレスリングを始めた選手が、キッズあがりの全国トップ選手に追いつくには、キッズ出身の選手が嫌がる闘いをすることが必要です」。タックルの強い選手に、タックルで対抗してはならない。接近戦などに活路を求めるほか、自身の得意技が投げ技だったこともあり、投げ技を徹底して指導。「勝つための指導」を展開している。
「グレコローマンの強い選手は、フリースタイルをやらせても強い」と言われ、多くの選手が実証している。低く構えてからのタックルがフリースタイルの基本であることは言うまでもないが、高校からレスリングを始めた選手には、徹底してグレコローマンの技術を教えるのも、キャリアの長い選手に追いつくためのひとつの方法かもしれない。
ただ、現在はネットで対戦相手の経歴を知ることができる。それで気持ちが萎縮してしまうことが多く、この対策を大きな課題と感じている。選手には「過去の成績なんて関係ない」と言い聞かせ、ふだんの練習から「絶対に勝つんだ」という気持ち強く持たせることを重点に置いていると言う。
関東や関西の高校と違い、強豪大学への出げいこはできない。大会に出場するにしても、まず約4時間の船に乗らねばならず、移動のエネルギーだけでも大変だ。だが、河内監督は「制限された環境では、工夫が必要です、その工夫にこそ学びがあるのではないかと考えます」と、離島なればこその工夫の中に、選手として、そして人間としての成長があると訴える。
中村勇士(前述)が、苦労を乗り越えて全国王者になったときの感激は忘れない。「全国チャンピオンに育てた喜びより、続けてきたことが形になった喜びが大きかった」と振り返り、「あの感激を、また味わいたいです。もちろん、将来はこの島からオリンピック選手を出したい」と話す。
そのためには、レスリング部だけ、あるいは高校だけの努力では難しい。多くの支援があってこそ実現する目標だ。実は、隠岐島全体が活性化を目指して燃えており、その流れに乗って上を目指している。