※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
韓国の男子フリースタイル・ナショナルチームが、先週末から日体大で練習を積んでいる。1月25日まで続けられ(取材日は1月16日)、来月下旬は男子グレコローマン・チームが来日予定。外国との行き来が緩和されたことで、国際交流が盛んになっていきそう。
韓国は、一時は男子両スタイルで日本をしのぎ、オリンピックで11個(フリースタイル4個・グレコローマン7個)、世界選手権で16個(フリースタイル6個・グレコローマン10個)の金メダルを獲得している。今は低迷しており、2021年東京オリンピックでは、男子グレコローマン2選手のみの出場。男子フリースタイルでは出場が途切れた。
昨年の世界選手権(セルビア)では、グレコローマンでこそ5位入賞があったが、フリースタイルでは3選手が1勝をマークするにとどまり、11位が最高という成績。今回の練習でも、軽量級での実力差は歴然で、今は韓国が日本に挑む立場に様変わりしている。
それでも、日体大・松本慎吾監督は「他の所属の選手と練習するのは刺激になり、外国選手となれば、なおプラスになる。日本選手にはない技術を持っているケースもあり、学ぶべきこともある」と、日本選手にとってもメリットがあることを強調。古くから日体大と韓国の大学との交流があり、切磋琢磨してきた隣国。コロナで交流が途絶えたが、国際競技力を高めるためにも、再開のきっかけとしたい気持ちもあるようだ。
韓国チームには、2017年から約4年間、中大でコーチを務めたイ・ジョングン(李正根)氏の姿も。現役時代は日本への遠征を重ねて強くなり、1986年アジア大会王者へ。栄和人・現至学館大監督と勝ったり負けたりの激闘を展開した強豪。
李正根コーチは、あのときの自分を思い出しているのか、「日本の力を借りて強くなりたい」と語気を強め、選手には積極的に挑むことを求めた。
韓国スポーツ界にとって、レスリングは特別な存在だ。韓国が日本の統治から解放された1945年以降、あらゆる競技を通じてオリンピックで初めてメダルを取ったのが、1964年東京オリンピック・フリースタイル52kg級2位のチャン・チャンスン(張昌宣)。2年後の世界選手権では、全競技を通じて初めて世界一に輝いた。
1976年モントリオール・オリンピックでは、フリースタイル62kg級でヤン・ユンモ(梁正模)が、全競技で初めてオリンピック・チャンピオンへ。終戦後の日本で、水泳の古橋広之進やレスリングの石井庄八、プロレスの力道山が国民の外国人コンプレックスを吹き飛ばしてくれたように、レスリングでの栄光が韓国の国民に大きな自信を与えた。
1988年にソウルでオリンピックが開催されることになり、国のスポーツへの支援が増してレスリングもさらに成長。国士舘大が全韓チーム、大学チームを問わず積極的に出げいこを受け入れ、胸を貸した。
その頃から死語になりつつあった日本スポーツ界の「ハングリー精神」が、この時代の韓国では大きなウエートを占めていた。張昌宣は極貧の家庭で育った選手。世界一になったことで、そのままなら絶対に手にできなかった一軒家を国からプレゼントされ、コリアン・ドリームとなった。
オリンピックで金メダルを取れば生涯年金が手にでき、家族とともに裕福な生活ができる。貧困に置かれている人にとっては、スポーツに人生のすべてをかけるだけの意味と価値があり、こうした背景も韓国スポーツ界の躍進に拍車をかけた。
1980年代前半までは「韓国ナショナルチームの選手が、国士舘大の選手に簡単にひねられた」(滝山将剛・元部長)のが、いつしか形勢逆転。ソウルで開催された1986年アジア大会では、日本の金5個(グレコローマン4・フリースタイル1)に対し、韓国は金9個(グレコローマン5・フリースタイル4)を獲得。イラン・イラク戦争の影響でイランが力を落としていたこともあり、韓国が“アジアの盟主”に君臨。日本が追う立場となった。
その後、オリンピックの度に金メダルを取っていたが、2008年北京大会で途切れ(メダル獲得は辛うじて継続)、2012年ロンドン大会でキム・ヒョンウ(金炫雨)が伝統を復活させたが、2016年リオデジャネイロ大会はキム・ヒョンウの銅1個のみ。
東京オリンピックでメダル獲得の伝統も終わり、現在に至っている。今回のチームのムン・ウィジェ(文義済)監督は、2004年アテネ大会の86kg級銀メダリスト。以後、同国のフリースタイルにオリンピックのメダリストはいない。
李正根コーチは韓国のレスリング低落の一因に、社会的背景を上げる。社会が裕福になり、もはや韓国にも「ハングリー精神」は存在しない。2002年に日韓共同でサッカーのワールドカップが開催され、サッカー人気が急上昇。きつい格闘技は敬遠されるようになって競技人口が減少。それは実力の低下につながった。
きつくても、世界で勝つ目標が持てるスポーツなら選手は集まるだろう。世界で勝つ選手がおらず、脚光を浴びることがないスポーツに若者が振り向かないのは当然。2021年東京オリンピックでは、かつて栄華を極めた柔道とテコンドーも金メダルなしに終わっている。
李正根コーチは「ちょっと厳しいことを言うと、すぐやめていく」と韓国の現状を説明。同コーチは、理不尽な指導があっても、それに反発するエネルギーで強くなった世代だが、そのあたりを聞かれると、手を大きく振り、「できるわけない。日本もそうでしょ」と笑った。
こうした中で、どう強化していくか。日本のほか、キルギスなどとも交流して実力アップを目指すそうだが、情熱を持つ選手を地道に育てていくしか方法はないだろう。今年の世界選手権での目標を聞くと、「去年のあの成績で、具体的に言えるものはないです」と苦笑し、「1勝でも多く挙げることです」と続けた。
ハングリー精神に変わるエネルギーを模索しつつ、韓国レスリング界が再浮上を目指す。
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