2012.08.13

【特集】「努力すれば、小さい頃からやっていなくても金メダルは取れる」…米満弘昌さん

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

ビデオを撮影しながら決勝を見守った弘昌さんと礼子さん

 【ロンドン(英国)、文・撮影=樋口郁夫】日本男子レスリングに24年ぶりに金メダルをもたらした米満達弘(自衛隊)の父・弘昌さんは「おめでとう、と言ってやりたい。練習を一生懸命やっても、なかなか日本チャンピオンを取れなかった。それでもあきらめないでロンドン・オリンピックを目指すとして続けてきた。夢が実現しましたね。感動しました。感激で胸がいっぱいです」と感無量。右手で撮影していたビデオは、腕が震えてしまい、「ブルブルで見られないみたいです」と言う。

 高校時代の恩師の文田敏郎監督、拓大時代の西口茂樹部長、自衛隊での伊藤広道ん監督や井上謙二コーチらの名前を挙げて感謝の言葉を述べ、「皆さんが一生懸命にご指導してくれ、いろんな方が力を貸してくれ、感謝の気持ちでいっぱいです」。五輪前に激励会や壮行会をやってエネルギーをくれた地元の富士吉田市に対しても「本当に感謝しています」と続けた。

 母さんは「オリンピックというのは夢だった。北京に行くつもりだったけど、かなわなかった。今回やっと出られることになり、しかも金メダルを取ってくれて本当におめでとうと言ってあげたいです」と言う。

■五輪の金メダルのため、あらゆることを犠牲にしてレスリングへ

 高校時代にインターハイ王者になれなかった選手。そこから階段を一歩ずつ上がり、世界の頂点に上り詰めた。弘昌さんは「高校で指導していただいた文田先生から(素質を)見出してもらい、大学、自衛隊で仕上げしていただきました。巡り合わせがよかったと思います。そうでなければ、ここまで来られなかったでしょう」と、あらためて周囲に感謝。

2回戦を応援する米満夫妻

 オリンピックで金メダルを取るため、あらゆることを犠牲にしてレスリングに取り組んでいたことは伝わっていた。「見ていて、かわいそうなところもありました。でも、そんな気持ちがなければ、この舞台で金メダルは取れないと思っていました。本当によくやってくれました」と、息子の努力をたたえた。

 昨年の世界選手権は決勝で敗れ、世界一を目の前にして逃した。弘昌さんは「銀メダルでもすごいと思ったんです。でも本人は金メダルを目指していたようで、表彰台では笑顔もなかったですね。今回の表彰式は満面の笑みでしたね。それを見てホッとしました。親孝行な息子だなあ、と思います」と振り返る。

 米満自身は若い時から「オリンピックで金メダル2個取る」と口にしていた。弘昌さんは「オリンピックには2度出ないと、金メダルは取れないと思っていたんじゃないですかね(1度目は経験、2度目で取る)。そういう意味で、2度出るつもりだったんだと思います」。それが当たっているのかどうかは、米満しか知らないが、1度目の五輪で金メダルを取ったのだから、当然、2度目の五輪ででも狙うのは金メダルだろう。

 キッズ・レスリングの全盛期の現在、高校からレスリングを始めては「遅い」と言われるようになって久しい。米満は、そうではないことを証明した。「レスリングでなくてもいいけど、高校生が今からやろうと思って、励みにしてくれればいいですね。もし将来、指導者になったなら、努力すれば、小さい頃からやっていなくてもオリンピックで金メダルは取れる、夢は実現する、と教えられますね」と期待した。

 ただし、レスリングだけではなく、社会人として自立してほしいという思いもある。米満から「レスリングしか知らない。オリンピックは通過」といことを聞いたことがあるそうで、オリンピックだけを目標に生きているわけではないようだ。「社会人としては素人です。違う目標に向かっても頑張ってほしい」と、いわゆる“レスリング・バカ”になることなく、社会人としても周囲から目標とされる人間に育ってほしいと要望した。