※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子、撮影=保高幸子)
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51㎏級を含めて世界を7度制した女王、アジア制覇はならず-。アジア大会の女子がいよいよスタートし、一番手に48㎏級の坂本日登美(自衛隊)が登場した。金メダルを確実視されていた坂本は、初戦で5月のアジア選手権優勝で世界3位の趙沙沙(中国)にフォール勝ちを収めたが、準決勝の2009年世界3位のソ・シムヒャン(北朝鮮)に0-2で黒星。初の総合大会出場を優勝で飾れなかった(右写真=銅メダル獲得に笑顔はなかった坂本)。
9月の世界選手権から2ヶ月後の大舞台。悲願の五輪階級で世界を制した坂本は「(心の)スキがあった」と調整不足だったことを認めた。48㎏級で復帰する際の一番のネックは、55㎏級で北京五輪を目指して大きくなった体の減量だった。復帰最初の大会となった5月の全日本選抜選手権で初めて48㎏級に挑戦。9月の世界選手権も、「海外で落とすのが不安」と調整に余念がなかった。その2大会をアクシデントもなくすんなり計量をパスしたことで、「もう、48㎏級の体に慣れた」と普段の生活の節制を甘くしてしまったという。
そのツケは、今年最大のイベントであるアジア大会にまわってきた。計量前日で500gオーバー。選手生活で初めてサウナで調整するはめになり、焦りを感じながら最終調整。しかし、計量では逆に600gアンダーと、落としすぎてしまった。減量しすぎたダメージで試合では足が動かなかった。
■研究されていたが、最大の敗因は減量の失敗
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「51㎏級時代は自分より小さい選手と闘うことはなかったから、(48㎏級の)小さい選手にもぐられるのが嫌です」と警戒していた通り、152cmと小柄なソ・シムシャンは予想通りに低空タックルを多用。だが、「(ヤマ場の)中国戦が終わって、なめていた」という坂本は、北朝鮮の動きに対応できないまま、第1ピリオドを落とし、第2ピリオドもスタンドでベタ足になった瞬間にローシングルを受けて同点とされた。このままではラストポイントで負けとなるため、相手がローリングに来たところを、「乗るしかない」と狙ったが、無失点に抑えることはできずに2-5(左写真)。その直後に敗戦のブザーが鳴り響いた。
栄和人・女子強化委員長(至学館大教)は、北朝鮮のタックルに「あのタイミングで入るのは、研究していないとできない」と話し、坂本がかなり研究されていたと推測したが、最大の敗因を「減量失敗」と認めた。その一方で、「五輪マークの重圧があったのかな」と坂本の心境を代弁。
坂本は自身初の総合大会に両親を招くなどして、気合を入れて臨んだ分、「アジア大会にのまれてしまった」と反省の弁。栄強化委員長は「やることすべてが裏目に出てしまった。負ける時はこんなもの」と敗戦を受け入れた。
一筋縄ではいかなかった48㎏級での復帰。3大会目で早くも試練が訪れたが、坂本は「(吉田)沙保里(ALSOK)も、負けて、五輪で金メダルを取ったから」と、この敗戦を絶対にプラスにすることを誓った。