※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫、撮影=保高幸子)
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銅メダルの壁は乗り越えたが、銀メダルでは満足できず-。大会初日の男子グレコローマン55kg級の長谷川恒平(福一漁業)に続き、同74kg級の鶴巻宰(自衛隊)が金メダルを狙ったが、決勝で世界3位のダニヤル・コボノフ(キルギス)に屈し、銀メダルに終わった(右写真)。
初戦で昨年世界3位のイラン選手をラスト6秒に逆転で破る殊勲もあった。世界選手権を辞退するほどの負傷から回復したばかりであり、国際大会の間隔があいてしまったことを考えれば、よくやったと思える結果。しかし「負けて終わるのは気分が悪い」と喜びはなし。
「グラウンドで勝負できるそこそこの自信はついた」と言う一方で、「努力不足でした。世界3位のレベルに行っている感覚はない。下の方だと思います」とも話した。これまで国際大会で7個の銅メダルを取っており、「銅メダル・コレクター」とも呼ばれた。準決勝の壁を越えて汚名を返上したものの、「ひとつ悪い色のメダルでは納得できない」と、階段を一歩登ったという気持ちにはなれなかったようだ。
■3度めの対戦! 十分に研究して臨んだ決勝だったが…
決勝の相手は2005年と2006年に2度闘っており(2敗)、「つかまえられたら、すぐに投げてくる」などの特徴は十分に知っていた。そのため「グラウンド勝負を狙っていました」とのことだが、第1ピリオドはグラウンドの攻撃を立たれてしまい、第2ピリオドの防御ではクロス・ボディ・ロックの仕掛けからがぶり返しを受け、2度ニアフォールへ追い込まれる展開となってしまった。
2度のがぶり返しの間に胴タックルのようにして押さえこんだシーンがあり、日本陣営は2度目のがぶり返しは脚を使ったとチャレンジしたが認められず、0-5とされてしまっては勝ち目はなかった。
「第1ピリオドは作戦ミス。第2ピリオド、クロス・ボディ・ロックでくることは予想していた。相手のクラッチがうまくはまってしまった」とのこと。セコンドがチャレンジ(ビデオ・チェック要求)してくれたが、「(体が)返ってしまっては仕方ない」と、不満はないもよう。「グラウンドの攻撃で立たれたことと、がぶり返しへの反応の遅さとが課題です」と振り返った。
■2009年世界3位相手にラスト6秒の逆転勝利
世界選手権を直前で辞退してチームに迷惑をかけた分、「金メダルが目標」と臨んだ。それは達成できず、悔しさは残ったが、プラスだったこともある。思い切って戦列を離れたことで痛めていた腰の状態は戻り、大会へ向けての仕上がりもよかった。
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試合間隔は空いたものの、「心地よい緊張感は感じた」と話し、思ったほど試合勘がにぶっていないことも分かった。初戦のラスト6秒には0-1から一本背負いで逆転勝ちし、勝利への執念も健在だった。「(ローリングで1点を取られ)あきらめかけたんですけど、0-1でしたし、残り時間を見て1点を取れば勝てる」と思って仕掛けた一本背負い(左写真)。非凡な実力を見せてくれたシーンで、本人は否定したが、世界のトップクラスの実力を誇示できた大会でもあっただろう。
また、最初は「納得できない」と口にした銅メダルの壁を破ったことも、インタビューの最後には「ひとつの成果ではありますね」と変わった。悔しさの中にも確かな手ごたえを感じた銀メダル。「ロンドン五輪では金メダルを目指します」という言葉が、よりはっきりと心に現れてきたに違いない。