※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
【ヌルスルタン(カザフスタン)、世界選手権取材チーム】男子グレコローマン60㎏級の文田健一郎(ミキハウス)が、初出場となった2年前の世界選手権59㎏級に続いて今大会でも優勝した。グレコローマンの日本代表で、オリンピックと世界選手権で優勝した例はあるが、後者で2度優勝した例はない。オリンピックの前年度の世界選手権でオリンピック出場枠を取るのも、2008年北京予選だった2007年以来12年ぶりの出来事だった。
決勝戦。選手紹介を受け、マットサイドを歩く文田は時折笑みすらこぼれるほど余裕が感じられた。前日、決勝進出を決めた直後の会見では、東京オリンピックの枠を取った喜びで涙すら浮かべていた時とは大きな違いだ。文田は「決勝は吹っ切れて試合をすることができた」と振り返る。
「今大会で一番大事にしていたことは、代表権を自分のものにするということ。それは前日にもう達成してたので、あとは自分のできるレスリングを全部やろう、という気持ちだったので、本当にリラックスしていましたね」
果たして決勝では、セルゲイ・エメリン(ロシア)にグラウンドで2回も回されるなどして一時は5点のリードを許したが、文田が焦ることはなかった。
「エメリンは1回戦からずっとローリングで勝ってきてたので、警戒はしていた。自分が下になった時は、最悪、そこでグルグル回されてテクられて(テクニカルフォール)しまうのではないか、という不安もあった。だから、逆に5点で済んで良かったかな、と。これなら取り返せると」
なんとポジティブ。その言葉通り、文田は得意のそり投げで4点を取り返したことをきっかけに、怒濤のローリングであっという間に10点を奪い逆転に成功した。結局、第2ピリオドになっても、文田は失点を許さず、そのまま10-5で勝利をおさめた。途中から文田のワンマンショーになるとはいったい誰が予想したであろうか。
「リフトもかかった。そして、この大会から出そうと思ってたローリングをきっちり出せた。試合の流れのイメージとしては、完璧に近い内容だったんじゃないかと思います」
2年前の世界チャンピオンとしてマークが厳しくなることは事前に察知していた。「準々決勝までに自分のテクニックを出しすぎてしまうと、それを必要以上に警戒されてしまう。なので、準決勝では逆に行くローリングを使いました。僕は右へのローリングをメーンにかけているけど、右だけに返して左にいくのは見せないようにする。でも、準決勝はテクニカルフォールにまでもっていけるポイント差だったので、逆も入れて返しました。トップになってくると、出した技をすぐビデオに撮られるというのはザラですから」
エメリン戦前、観客席では日の丸を振りながら必死に応援する今大会の63㎏級王者で、今年6月の全日本選抜選手権まで60㎏級代表の座を文田と激しく争った太田忍(ALSOK)の姿があった。そのことを伝えると、文田は「本当ですか?」と相好を崩した。「決勝戦前、言葉とか別に交わさなかったけど、忍先輩はバンっという感じで抱きしめてくれた。そこで1つ区切りがついたんだなと思いました。忍先輩もそういうふうに思ったんだなと思いました」
文田は、前日のように目頭を押さえた。「普段は泣かないのに…。もうオレ、本当にダメですね」
(文=布施鋼治)