※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
■井上謙二監督(自衛隊)「トルコ戦は、軽量級がしっかりとったのは評価できると思う。高谷は勝ち切れない試合が続いたが、最後のブルガリア戦は第3ピリオドのラスト1秒での勝利。強い相手でも最後まで諦めず勝つということは大きかった。松本篤史は五輪への道が断たれてから1週間で、気持ちが落ちて休みたいところだっただろうが、こういういい大会に無理をしても出たことはチャンスだったと思う。試合は負けてしまったが自分の課題にして4年後につなげてほしい。
最後のブルガリア戦はみな思い切って試合したと思う。特に山口は自分が勝つ形が一つでき、勝負できたのは大きかった。順位は9位だが、逆ブロックと比べると実力はもう少し上じゃないかなと思う。今回は結果よりも五輪に向けていい課題ができた大会だった。収穫が多かった」
■55kg級・稲葉泰弘(警視庁)「全日本選手権で(湯元)進一さんに負けた時点で五輪のチャンスはないと覚悟していたので、気持ちの切り替えは割と早くできていた。世界でまた闘えるということで、この大会を楽しみにしていた。2010年世界選手権以来で、久しぶりだった。闘った相手は2番手が多かったと思うけど、世界で闘ってみて、もう一度、来年の世界選手権で闘いたいという気持ちが高まった。期待してくれる人たちのためにも応えたい」
■55kg級・湯元進一(自衛隊)「けがのため大事を取って出場しなかったけど、いい勉強になりました。ワールドカップは初めてで、『お祭り』というイメージがあったが、違った。どの国も目の色を変えてやっていた。自分もこの舞台に立ちたかった。試合を見て思ったのはみな強いということ。五輪に出る選手も見ることができ、気が引き締まった。きわどい所で、以前ならポイントになっただろう場面で入らなかったり、細かいルールの変化も確認する事ができて、つかめたものがあった」
■60kg級・湯元健一(ALSOK)「自分に実力があることがわかったが、悪いところも確認できた。(日本代表決定)プレーオフ終わってから体調を崩し、通常体重も64kgほどしかなかったり、調整がうまくいかずに試合はしんどかったけど、アメリカ戦以外4勝できて良かった。ただ、4試合も第3ピリオドまでもつれてしまったのは良くない。五輪では気をつけたい。
他の階級や決勝を見て、技術は日本でもできるけど、課題は体の強さだと思った。決勝のアゼルバイジャン-イラン戦はルールがあるケンカだった。改めて、レスリングはぶつかり合いだと思った。あと3ヶ月で勝つための強い体を作りたい。この大会に参加できて良かった」
■66kg・米満達弘(自衛隊)「初めて団体戦の国際大会に出てみて、精神的に個人戦と違い、疲れました。難しいと思いました。個人戦よりも勝ちたいという気持ちが強くなります。強くなるにはこの経験は大切だと思いました。自分よりもいいレスリングをしている日本の選手を見て、刺激にもなりました。
レスリングはオリンピックが最高の場なので、オリンピックに向けてリスクを避けるために当初はこの大会は欠場しようと思っていました。やはり、けがをしてしまいましたが、実際に出てみて、レスリング強くなるにはこの大会はいい経験になったと思います。日本の男子レスリングのレベルが上がったと感じます。ケガをして2日目は闘っていないも同然なので、個人優勝に関しては実感はないです。けがをしたことで(チームに)貢献できず残念です」
■74kg級・高谷惣亮(ALSOK)「アメリカ戦は世界チャンピオンが相手で、第3ピリオドのラスト10秒で負けましたが、正直、ここまでできるとは思っていませんでした。74kg級以上は五輪で勝つのは難しいと言われる中、ここまでできるようになっていたんだな、と思いました。最後のブルガリア戦は反応が早い相手に持ち味のタックルが出せて良かった。今回はオリンピックに向けてレベルを確かめる意味もあったので、それほど勝ち負けにこだわっていなかったけど、オリンピックでは第3ピリオドまで闘ってもつれた時でも絶対に勝ちにいきます」
■84kg級・松本篤史(ALSOK)「オリンピックがダメになった直後で、気持ちの入り方がオリンピック予選とは違ってしまった。それがレスリングに出てしまったと思う。思い切りがなかった。強い選手は不利な体勢からでも仕掛けてくる。日本ではかけられない技もあったので、収穫でもあります。世界トップと4試合(5試合目は不戦勝)できたのはいい経験になりました。でも、選ばれたからには国のためにも自分のためにも勝ちたかった」
■96kg級・山口剛(早大クラブ)「普段84kg級でやっていて、国際大会の96kg級で出場するのは初めて。84kg級とは力の使い方が違うのに。同じようにやってしまった。そのことをつかむまでに時間がかかってしまった。試合を重ねるごとに96kg級でのやり方が分かってきて、最後のブルガリア戦は勝つことができた。オリンピック予選に出ていた若手の選手だった。いつもの自分のレスリングが通用したのは収穫だった」