胴上げを受けた就任2年目の水口貴之監督の目が、真っ赤に潤んでいた。2001年秋季~2005年秋季に9季連続優勝(大会史上2位)を達成している立命館大が、2010年秋季以来、29季ぶりに優勝を引き寄せた。
同監督は、人生で初めて受けたという胴上げを「こんなに高く上がるものなんだ、と思った」と振り返り、「よかったです。選手に支えられました」と感慨無量。昨年秋季に11年ぶりに決勝進出し、近大に黒星。チームスコア3-3となり、最後の試合を落としての黒星だったが、「弾みになりました」と評価。あの惜敗の流れを受けての優勝だったことを強調した。
決勝の九州共立大戦は、第1試合から3連勝して優位に立った。74kg級の尾関友陽(4年=西日本学生選手権3連覇)、70㎏級の助川遼成(2年=JOCジュニアオリンピックカップU20-2位)とも力のある選手で、「ともにフォールで勝ってチームに勢いをつける勝ち方ができたことが素晴らしい」と賞賛。
続く57㎏級の池田徹平(2年=西日本学生選手権グレコローマン優勝)も終了間際に逆転勝ちし、完全にペースをつかんだ。しかし、勝負の世界は甘くなく、そのあと3連敗。流れを奪われてしまった。「後ろに勝てる選手が控えていたので、さほど心配はしていなかった」と言うが、それは結果論なのではないか。
チームスコアが3-0となったときは、「このまま7-0とか、6-1で勝てればいいな、と思いました」と苦笑い。最後の86kg級を西日本学生王者の井上輪太郎が締めてくれ、ホッとしたところだろう。
京都・立命館宇治高時代の1997年にインターハイ王者に輝いている水口監督は、1999年春季の立命館大の初優勝のときに1年生として在籍。3年生のときの秋季大会で3度目の優勝を経験。ここから9連覇のスタートした。いわば、全盛期の最中にチームを支えた選手だ。
その後、カナダへの語学留学を経て立命館宇治高の英語教諭へ。同高にレスリング部はなくなってしまったが、キッズからの一貫強化と(関連記事)、15年くらい前から立命館大にコーチとして携わり、伝統復活を目指してきた。
自らの時代は、立命館宇治高の強豪選手が立命館大へ進み、強さを支えていた。“供給源”がなくなって選手獲りが大変となり、強化は思うように進まなかったが、ときに西日本学生王者を誕生させるなど、一部リーグにとどまる力をキープ。“時”が来るのを待った。
最近、強豪選手が来るようになり、自主性をもった練習で実力アップ。「いい流れができたと思います」と振り返り、昨年秋季の決勝進出、そして今回の栄冠獲得につながった。
同大学は、水口監督と石田智嗣コーチ(2015年世界選手権代表)が立命館宇治中・高の教師。大学の練習場と離れているので平日は参加することができず、指導は土日祝日のみという状況だ。
学生だけの練習では、とことん追い込むことができず、だらけてしまう、という声もある。水口監督は「練習に行けない、というのは、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と話し、立命館大の復活を願って選手を送ってくれた高校の監督に対しても「心苦しい思いがある」と言う。しかし、選手が率先して練習に取り組み、「私たちは、あまり必要がないんです」と苦笑いするほど、自主性を持って練習しているそうだ。
選手への信頼が、セコンドに学生がついていることに表れている。選手の練習をいつも見ている上級生なればこそ的確な指示が出せるとの判断。選手に考えさせて練習の組み立てを決めさせるチームはあるが、試合のセコンドを選手にやらせるチームは、あまり例がないのではないか。結果が出た以上、間違いではあるまい。
今年から週4回、練習後に大学のトレーナーチームにサポートしてもらい1時間半のウエートトレーニングを取り入れていることも、いい結果に出ていると振り返る。成國大志(現筒井メディカルグループ)が徹底したパワートレーニングで結果を出し、吉田アラシ(現三恵海運)のパワーが世界を席巻するなど、レスリングの根底で必要とされるのは体力でありパワーということが証明されている。いいと思うことを取り入れていく姿勢も、16年ぶりの栄光につながったのだろう。
水口監督は、毎年実施している海外遠征の効力も口にする。2024年度は同監督が留学していたカルガリー大学へ、2025年度は米国のスタンフォード大学に遠征。レスリングの強化だけでなく、「レスリングを通して国際経験を積ませ、人生の価値観を大きく揺さぶる経験をすることが、レスリングに対して真剣に向かうきっかけとなっている」と話す。
久しぶりの優勝で、「立命館大へ行けば伸びる」という評判が広まれば、今後、さらにいい選手を獲得できるようになり、2000年代の黄金時代の再来も夢ではなくなる。すでに来年には強豪獲得のめども立っており、そのスタートラインに立ったところ。水口監督は「ぜひ、その時代をつくりたい」と力をこめた。
立命館大レスリング部は、桃山学院大OBの福川敦・現西日本学生連盟会長(1984年西日本学生選手権優勝)が1995年に創部。当初は部員もなかなか集まらず、専用の練習場はなかったので1回ごとにマットをしいての練習。プロレス同好会にいた棚橋弘至(現新日本プロレス社長)に声をかけて練習と試合に参加してもらうなどの時代をすごした。

▲のちにプロレス界のスターとなった棚橋弘至(現新日本プロレス社長)。立命館大のレスリング選手として、西日本学生リーグ戦や全日本学生選手権に出場した記録が残っている=写真は2015年1月のプロレス大賞授賞式
宇治高校が系列高になったのを機に同高の強豪選手が入部することになり、1998年秋季に二部リーグで優勝して一部へ昇格。インターハイ王者の水口・現監督が入部したこともあって、昇格最初の大会だった翌年春に一部優勝を遂げた。
サークルから立ち上げ、体育会公認まで8年かかった。立命館宇治高を強豪に育てた鈴木秀知監督が好選手を送ってくれ、1988年ソウル・オリンピック代表でもある京都府高校教員の伊藤敦コーチ(2代目監督)の力で黄金時代を築いたわけだが、ベースに福川会長の苦労があればこそ。同会長は優勝が決まると、すぐに水口監督のもとに駆け寄り、苦労をねぎらった。
会長就任1年目の昨年は、奇しくも水口監督も1年目。秋季大会で決勝に進み、「新入部員のときに初優勝しているので、監督1年目でも優勝するかな、と思った」とのことだが、それはならず。半年遅れての栄冠に、「前回の優勝から16年も経っていたんですね…」と感慨もひとしお。「負けた選手も粘りを見せていた」と選手の健闘をねぎらい、再飛躍を期待した。