全日本選手権への出場選手を多く輩出している大阪府で、吹田市民教室に次いで長い歴史を持つ高槻市レスリング連盟(1984年創立)主催の「高槻市長杯少年少女レスリング大会」が第40回を迎えた。3月1日に高槻市立総合体育館で行われた大会には、例年通り濱田剛史市長が駆けつけてあいさつ。河内義雄会長が、今年は優勝選手に対して金メダルではなくトロフィーを贈呈することを発表し、熱戦が行われた。
今大会では2選手が優勝。練習を指揮する佐藤健コーチ(高槻市連盟理事長=2001年西日本学生王者)は「ウチは市民団体(練習日は多くない)。周りのクラブに出げいこへ行くなどして頑張っている選手がいて、他チームの協力があっての結果ですね」と、周囲のクラブの日ごろの協力に感謝の言葉。
練習は週1回で、他に月1回、別の体育館での練習がある。全国大会での優勝を目指し、ほぼ連日の練習を課すクラブも多い昨今だが、それに追従することなく、子ども達の成長を見守る形でクラブ運営を貫いている。競技スポーツである以上、優勝を目指すことは否定しない。体力があって上を目指す選手は吹田や寝屋川など周辺のクラブにお願いして出げいこへ行かせ、実力アップを目指させる。
同コーチは4歳から高槻市連盟でレスリングに親しみ、大阪・茨木工高~徳山大を経てUターン。病院のリハビリ職員をやりながらの指導。約10年前に、河内会長(前述)から指導の中心を任された。「(選手に)続けてもらう苦労もあったし、勝たせなければならない苦労もありましたね」と話す。
「勝ちたい」という選手がいれば厳しい練習を課すが、そんな選手ばかりではない。「体が弱いので、体力をつけたい」「心身を強くしたい」として入部してくる選手もいる。だれもが全国一を目指しているわけではないので、だれにでも同じような指導はできない。
どのクラブの指導者にも共通する苦労であろうが、平健次コーチら保護者の協力もあってバランスよく運営。今大会では平コーチの長男・りつ輝が1年Cクラスで優勝し、結果も出した。
そんな中から、日体大で成績を残した河内美樹・沙樹・良樹の3姉弟(関連記事)や、昨年のインターハイで2位となった長谷川大和(大阪・大体大浪商高)ら全国で活躍する選手も生まれており、40周年を機に飛躍のベースはある。佐藤コーチが主になって指導した選手は現在の中学生が中心なので、手塩にかけてベースをつくった選手が飛躍するのはこれからとなろう。
創始者の寺内正次郎・現名誉会長が振り返る。1984年の創部のとき、部員は3人。高槻市の体育館を正式な練習場として借りるには高槻市体育協会に入会しなければならないが、「2年間の実績」が入会の条件だった。同協会は日本で初めて財団法人となった体育協会とのことで、条件が厳しかった。
そこで高槻市連盟杯、吹田市長杯、西日本選手権、大阪府民大会の運営を手伝い、高槻市体育協会の活動にも参加。2年間のときを経て入会が認められ、協会から年間4万円の補助が出たと言う。
それまでは、体育館は一般使用扱いで1回8,000円。1ヶ月で3万2,000円。部員から月謝は取らず、寺内・現名誉会長が払ったそうで、レスリングへの熱い情熱を傾けた。同名誉会長は「20年間は苦しかったです」と振り返るが、1985年に吹田市で、2002年に舞洲アリーナで行われた全国大会開催にも尽力。少年少女レスリングへの貢献は大きく、そんな努力が実って、最高で40人くらいの部員が汗を流すようになったという(関連記事)。
連盟運営の苦労を経験しているからだろう、佐藤コーチは「立場や役職に関係なく雑用みたいな仕事でも積極的に手伝ってくれています。ここまで歴史を作ってきた方で、そういう人はなかなかいません。見習うところもたくさんありますし尊敬の念を抱きます」と話す。
現在は部員が減少しているので、全盛期の人数を目指して盛り返したいところ。佐藤コーチは「レスリングの(世間への)露出が少ないですね。一般の人が、オリンピックのとき以外でもレスリングを目にし、耳にする機会を増やしていかなければならないと思います。オリンピックのときも、レスリング界だけが盛り上がっているのが現状。そこを頑張ってもらいたい」と広報の重要性を訴える。
創設時に支えてくれた塩見敏郎さんの長男・塩見友明さんは、現在、コーチとしてクラブを支えている。世代は変わっているが、大阪の老舗(しにせ)クラブの伝統は受け継がれている。2年前の連盟創立40周年、今大会の第40回大会を機に、高槻市レスリング連盟が50周年を目指して挑戦する。