日本の重量級が脚光を浴びている。その“元祖”と言うべき太田章さん(早大教)が、死線をさまよったことがネットで流れた。「Smart FLASH」の11月12日配信によると、7年前に脳梗塞で闘病生活を送ったあと、今年2月、飲酒のあと後頭部を強打。精密検査の結果、慢性硬膜下血腫と診断された。
頭がい骨に穴をあけ、そこから血管を取り出して血を出す手術を2回受けた。手術中、無意識のうちに「いて、この野郎」と看護師をののしったなど壮絶な闘いだったようだが、手術は成功。記事は、現在は完治に近い状態で、ウォーキングで体を動かして健康管理に気をつかっていることが記載されている(クリック)。
それであっても、「大丈夫か?」と思うのが普通だろう。その太田さんは12月14日、本庄市民レスリング大会が行われていた埼玉・本庄総合公園体育館(シルクドーム)にいた。さすがに、声を出す必要があるセコンドにはつかなかったが、オータキッズの選手の試合を撮影し、見た目は病み上がりとは思えないような“普通”の動き。
レスリングの話を始めると止まらないなど、記事を読んでいなければ、以前とまったく変わらない“元祖”日本重量級最強の選手がいた。太田さんに、現在の状況を聞いた。
--現在の体調はいかがでしょうか?
太田 普通の生活です。定期的に検査を受けていますけど、すべてが順調です。お酒の飲み過ぎには注意した方がいい、と周りの方には伝えたいと思います。
--体調を崩した原因は、お酒だったのでしょうか?
太田 私自身はそう思っていないんですけど(笑)、結果論で考えるなら飲み過ぎなのでしょう。4回の入院は、すべて脳外科です。脳はとても大事な部分。気をつけないとなりません。
--体調もよくなり、少しは酒も飲めているのでしょうか?
太田 ドクターに聞きまして、「少しの乾杯くらいは(いいでしょう)」との返事ですが、家内(妻・美玲さん)が絶対に許してくれません。肝臓が弱くなっているので、肝機能がよくなるまでは禁止を言い渡されています。家内には、もしかしたら死んでいたところを助けられたので(前記のサイト参照)、言うことを聞かないと罰(ばち)があたると思って従っています。今はノンアルコール・ビールなどです」
--運動は?
太田 歩いています。いきなりレスリングやウェートトレーニングをするわけにはいかないので、ウォーキングで体力を維持しています。(スマホのアプリを見せて)きちんとチェックしながら、1日10kmくらい歩きます。
--歩数で言うと、どのくらいになりますか?
太田 1万~1万5,000歩ですね。1万5,000歩を歩くのは1時間半から2時間になるんです。それだけ没頭するのは厳しいので、歩いている最中にベンチや腰掛けられる場所があれば休み、無理せずにやっています。多いときは2万歩近いときもありますけど、頑張っている、という感じではなく、楽にやっています。
--レスリングは?
太田 技を教えたりはしますけど、激しい動きはしていません。雨が降ったときは外を歩けないので、マットの上をぐるぐるだったり、じぐざぐに歩いたりしています。外を歩けないときは、大きなショッピングモールに行って、ウインドショッピングしているように見せかけて歩くこともしています。ひたすら歩いていては周囲に迷惑がかかりますから(笑)。
--生きていてよかった、という気持ちでしょうか?
太田 その通りです。人間、いつ何が起きるか分かりません。命にかかわるような病気ではなかったのですが、命を落とさなかったのは幸運でした。
--大学の勤務は?
太田 定年まで、あと2年あります。それまではレスリングの研究を続けたいと思います。
--今の日本レスリングについてのお気持ちは?
太田 去年のパリ・オリンピックで、女子の金4個は予想できましたが、それにつられて男子も金4個を取り、すばらしいと思いました。ただ、ロシア不参加ということでバランスが崩れた面があると思います。これから、どうなりますでしょうか。
太田章(おおた・あきら)
1957年4月8日生まれ、68歳。秋田県出身。柔道を経て秋田商高からレスリングを始め、1975年インターハイ優勝。早大へ進み、男子フリースタイルで1980年全日本選手権優勝。同年のモスクワ・オリンピック代表になるも日本は不参加。
90kg級へ上げて1984年ロサンゼルス・オリンピックに出場して銀メダル。いったん引退したが、復帰して1988年ソウル・オリンピックに出場。前年世界2位の米国選手を破って2大会連続で銀メダルを獲得し、日本重量級では特筆すべき成績を挙げた。1992年バルセロナ・オリンピックにも出場し、日本で初めてオリンピック4大会連続代表となった。