2025.12.17

【特集】「学生時代の思い出の8割以上はレスリングです」…ボランティアで大会運営を手伝う2024年西日本学連・女性委員長の西留萌々花さん

 来年度の西日本学生レスリング連盟の役員が決まり、委員長には3年連続で女子学生(松村祐里さん=関大)が就任することになった。そのスタートである2024年に13年ぶりの女性委員長に就任したのが、西留萌々花さん(にしどめ・ももか=当時帝塚山大関連記事)。今回の秋季リーグ戦には勤務先の福岡県から駆けつけ、母校の応援をするとともに、学連の仕事をボランティアでアシスト。卒業して1年近くがたつが、レスリングへの変わらない愛情を見せていた。

▲母校・帝塚山大の応援と学連のアシストで福岡から駆けつけた西留萌々花さん。右は同大学の石山直樹部長、左は鈴木貫太郎監督

 委員長だったときを振り返ってもらうと、「選手がしっかり試合に集中できるように気を配ってきました」と、アスリート・ファーストに徹して運営をしてきたとの思いがある。

 学生連盟に入って活動をしたことで、選手を相手にすることのみならず、他大学の役員や指導者など多くの人と接し、いろんな経験をして人脈ができた。常に周囲に気を配って行動をするようになり、それが「卒業後の生活に役立っている」と言う。

 周囲への気配りを、小学校の校長先生が認めてくれ、声をかけてもらったそうで、「学連で活動してきて本当によかった、と思います」と振り返る。

 国内のみならず世界のレスリング界で、男女平等の実現は差し迫った課題であり、すぐに実現しなければならない重要な案件。西日本学生連盟は、2022年に16人中11人(69%)が女子委員だったなど、女性の進出を国内で最も推進している連盟。西留さんの就任によって、その流れが勢いづいたのは間違いないだろう。

 「13年ぶりの女性委員長と聞いて、この流れを広げていければいいな、と思いました。連盟の仕事は女性も活躍できる場だと思います」と言い、卒業後もその流れが続いていることに、うれしさを感じているようだ。

▲2024年12月の西日本学生秋季リーグ戦。1年間の激務を終え、笑顔であいさつする西留萌々花さん

現在は、児童が楽しい学校生活を送れるように努力

 大阪市生まれ。両親が柔道をやっており、弟とともに高校まで柔道をやっていた。進学した帝塚山大に柔道部がなかったため、柔道部の顧問だった西日本学生レスリング連盟の漆原功二・総務副委員長に勧められてレスリングのマネジャーとして入部。学生連盟にも加わり、「人の役に立つことが好き」とのモットーで熱心に仕事をこなしてきた。

 柔道をやっていたときも黒帯へのあこがれが強いなど、小さい頃から、やる以上は上を目指す気持ちが強かった。学連の仕事も慣れた2年生の後半あたりから、「一番上に立って連盟を運営したい」という気持ちが芽生え、学連委員長になることを目標に奮戦。「周囲に気を配りつつ、自分から積極的に行動しましたね」。その努力が認められ、13年ぶりの女性委員長に就任した。
 
 今年3月に帝塚山大を卒業し、故郷・大阪を離れて福岡県で小学校(久留米市立安武小学校)の教員としてスタートした。現在の教員といえば、長時間労働やモンスターペアレントからのクレームに悩まされるなど、大変な職業とも思われている面もある。勤務先の学校は落ち着いていて、平日は残業があって仕事を家に持ち帰ることはあっても、土日曜日に勤務することはなかったそうだ。

 2年生の担任で、「勉強を教える難しさはあります。学習能力に個人差があり、みんなに理解してもらうことに大変さを感じます」といいながら、「やりがいを感じて働いています」という生活。子供が「学校を楽しい」と思えるようになれば、保護者も安心し、先生を信頼してくれることを感じたので、楽しい学校生活が送れるよう気をつかっていると言う。

▲連盟役員の後輩の苦労を見ると、じっとしていられない。ボランティアで連盟の仕事を手伝う

母校が最高の5位に躍進! 「いつか優勝の感激を味わいたい」

 レスリングの指導者ではなかったので、地元のレスリング・チームにタッチすることはないが、西日本学生の大会があるときは、今回のように里帰りを兼ねて大阪まで足を運び、母校のレスリング場にも顔を出す。

 今年7月に帝塚山大の指導もしている鈴木貫太郎・三恵海運コーチが現役選手をつれて福岡大に指導に来たときには顔を出した。昨年まで連盟会長だった吉武行寛・福岡大GMが、福岡県出身の同期生で副委員長をやっていた野中ひかりさん(当時大体大)とともに食事に呼んでくれ、学生時代の縁によるつながりを続け、「やはり、レスリング界の動向は気になります」と言う。

 「学生時代の思い出の8割以上はレスリングです。レスリングからは離れられないですね」。母校の帝塚山大は今大会で部史上最高の5位に躍進。「いつか優勝してほしい。優勝の感激を味わいたいです」と力強く話した。