2025.12.05NEW

【直言! 過去・現在・未来(15)】駒沢で感じたレスリング界の民度の向上、「人間力なくして競技力向上なし」

(文=樋口郁夫)

 2025年東日本学生秋季選手権(11月27~29日、東京・駒沢屋内球技場)へ足を運んだ。大会の初日(新人戦グレコローマン)、9月の世界選手権で銅メダルを獲得した吉田泰造選手(日体大)が補助役員として雑用をこなしていた。試合前後のマット清掃、チャレンジのときのビデオ撮影、試合後のゴミ集め…。

 1年生だから試合に出場する立場だが、全日本選手権へ向けての調整期間だろうし、世界3位の選手に出て来られては、その階級の選手は“迷惑”だろうから、出場ではなく各大学に割り振られている補助役員に指名されたのだろう。

 熱心にマット掃除をしていた姿を見て、「世界3位の選手が積極的に雑用をこなして、偉いね」と声をかけると、当然ですよ、と言わんばかりの顔でにっこり。連盟の吉本収会長(神奈川大監督)は「熱心で、率先して他の学生を引っ張ってくれています。礼儀正しいし、いい選手ですよ」と話し、会場にいた連盟役員のだれもが強豪選手のあるべき姿と評価していた。私も同感だった。

▲他大学の選手とともにキャパスの後片付けをする世界3位の吉田泰造選手(左から4人目)。左端は育英大の富塚拓也コーチ

U23世界王者もマット撤収に協力

 そのことは最終日(3・4年生による選手権)、試合後のマット撤収のときにも感じた。運営役員がマイクで「会場にいる学生はフロアへ下りてきて、撤収を手伝ってください」とアナウンスすると、学生が一斉にフロアに降り、マット撤収が始まった。

 その中に、試合には出場していなかった五味虹登(育英大4年)の姿も。今年は全日本学生選手権と国民スポーツ大会を制し、U23で世界王者に輝いた選手だ。そのほか、大会で優勝した4年生や、日大の齊藤将士監督ら若くて体の動く指導者の何人かも汗を流していた。監督の姿を見れば、選手も見習う。あっという間にマットが片付けられた。

▲試合には出なかったU23世界王者の五味虹登(左=育英大)と、この大会で優勝した五木田琉(日体大)もマット撤収に参加。カメラを向けると、にっこりとポーズ

▲学生だけでなく、体力十分の指導者も率先参加。左から日大・齊藤将士監督、日大・山本康稀コーチ、国士舘大・阿部敏弥コーチ

 若い選手や関係者からすれば当たりまえのことかもしれないが、厳然たる上下関係で支配されていたスポーツ界では、4年生、しかも世界チャンピオン級の選手が雑用をすることは考えられない時代が長かった。よく解釈すれば「実力の世界の掟(おきて)」。大相撲では、関取(十両以上)になれば付け人がつき、身の回りの雑用をすべてやってくれる。「雑用から解放されたければ、強くなれ」という理論だ。

 学生スポーツ界では「4年生=神様、3年生=人間、2年生=奴隷、1年生=ゴミ」と言われ、神様は掃除や後片付けなどしないのが普通だった。

強いからといって特権意識を持たせない

 レスリング界は、民度(知的水準、教育水準、文化水準、成熟度)という点では、決してほめられた社会ではなかった。審判への暴言で処分された指導者もいるし、不祥事の後始末で警察に出向いたことのある指導者は少なくない。

 駒沢体育館で行われた学生リーグ戦のあと、その汚さに体育館から「こんな競技団体は初めてだ」との厳しい警告が連盟に届いたことがあった。地方で行われた全日本学生選手権で「今後、レスリングには会場を貸さない」との通達を受けたこともあり、試合後の会場の汚さに体育館から抗議を受けたことは一度や二度ではなかった。

▲某年・某大会終了後のフロア。選手のみならず、この状態を引き起こし放置していた連盟も問題。体育館からの抗議は当然!

 時代は変わっている。10年くらい前に味の素トレーニングセンターで行われた全日本女子合宿を取材したときのこと。何の人たちか忘れたが、数人のグループが視察していた。練習後、吉田沙保里選手や伊調馨選手が若い選手と一緒にマット掃除をしているシーンを見て、「オリンピック・チャンピオンが、こんなこともするんですか?」と驚きの声が挙がった(私には見慣れた光景だったが…)。

 当時の栄和人・強化委員長にその話をすると、「自分が使ったマットを掃除するのは、当然でしょ」と不思議そうな顔をしていた。プロや他競技はどうなっているか分からないが、レスリング界は強いからといって特権意識を持たせなくなり、実際に持っていないのが流れ。教育と民度の表れとして誇るべきことだと思う。

民度向上の源流はキッズ・レスリングのマナー向上への取り組み

 選手のマット撤収を見て、吉本会長に「会長の力量だね」と伝えると、「いえ、各所属の指導の力です」-。確かに、ふだんから指導され、意識がそうなっているから、すんなりできるのだと思う。その源流をたどっていくと、全国少年少女レスリング連盟のマナー向上への取り組みなのではないか。

 かつてのキッズ・レスリング界は、セコンドが審判を罵倒する光景がよくあった。全力を尽くして闘ったのに、負けたことで監督やコーチの手や足が出て、勝つことだけに重きを置いていたチームも珍しくなかった。そんな指導者を見て育った選手は、どんな人間になるか。

 連盟では、マナー委員会をつくって指導者の汚い野次や暴言の撲滅を目指し、ゴミのポイ捨て禁止を徹底。「指導者は、単にレスリングのコーチだけであってはなりません。教育に関わる者として、子供たちを人間として正しく育てることが必要です」(梅原龍一会長=当時/2022年7月6日、日本レスリング協会ホームページ掲載インタビュー)との方針のもとで育った選手が、中学・高校でも同様の教育を受けて大学へ進み、人間力のある選手へと育っているのだと思う。

▲日本レスリング界を支えるキッズ・レスリング。人間力を高める姿勢が実りつつある

世界で賞賛されている日本人の民度の高さ

 運営役員の学生選手への呼びかけに対して、「オレは世界チャンピオンなんだから、そんなことをする必要はない」とばかりに観客席でふんぞり返っている選手を見たら、私は「レスリングは強いけれど、その程度の人間なんだな」と思うだろう。気持ちが離れ、その選手がオリンピックで優勝しても、何の感情移入もできないに違いない。

 目立つ人間ほど“あら探し”をされるのが世の常。チャンピオンは、周囲から後ろ指を指されないよう私生活にも細心の注意を払い、後に続く選手の手本となることが必要だ。吉田泰造選手や五味虹登選手、日大・齊藤将士監督ほか若い指導者の行動を見て、レスリング界の民度の高さを感じ、とてもうれしい気持ちになった。

▲学生選手や指導者の協力で、あっという間に片付いた駒沢屋内球技場

 サッカーのワールドカップで、日本サポーターが試合後、観客席のゴミ拾いをして帰ることは世界的に有名。大災害のときの水や食料補給の際に、我先にではなく並んで待つなど、日本人の民度の高さは世界で賞賛されている。

 「強ければ、それでいい」ではない。日本オリンピック委員会(JOC)のスローガンは「人間力なくして競技力向上なし」。周囲から認められる競技になってこそ、チャンピオンの価値が上がろうというもの。選手、保護者、指導者、応援者が一丸となってレスリングの民度を高め、国内外のどこに対しても誇れる「素晴らしいスポーツ」に押し上げていきたいものだ。

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