デフリンピックのレスリング競技には、普通の国際大会に出場し、結果を残してきた選手もいた。東京開催の今大会では、かつての世界王者が栄冠を勝ち取った。
両スタイルの最重量級を制したアレクセイ・シェマロフ(NDA=ロシア~ベラルーシ)は、2011年世界選手権の男子フリースタイル120kg級のチャンピオン。翌年のロンドン・オリンピックにも出場し、繰り上げながら6位の成績を残したロシアとベラルーシを代表する選手だった。
過去、1955年世界選手権で優勝したファブラ・イグナチオ(イタリア)が1961・69年デフリンピックで優勝。1964年東京オリンピックにも出場しており、オリンピックとデフリンピックの両方に参加した初めての選手。2004年アテネ・オリンピック出場のウゴ・パソス(ポルトガル)は、1997年から2022年まで7度のデフリンピックに出場している。
シェマロフは、分かっているだけで3人目のオリンピック&デフリンピックの出場選手であり、2人目の世界選手権&デフリンピック・チャンピオンとなる。
シェマロフは最終日のフリースタイルで優勝したあと、マット上でシューズを脱ぐ儀式で引退を表明。インタビューで「メダルを取ることを目標に頑張ってきました。チームと国の皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいです」と周囲に感謝の言葉。「大会の運営がすばらしく、環境も十分で、何の心配もなく試合に打ち込めました」と、選手生活の最後に思う存分燃えさせてくれたことにも感謝の気持ちを表した。
両スタイルの優勝については「コーチに言われたことをしっかり出しました。今まで積み重ねてきた練習と努力を信じ、すべてを出して闘いました。その結果、金メダルを取ることができました。とてもうれしく思います」と振り返った。
同選手は、2009年にロシアからベラルーシ国籍に変え、2011年に世界選手権で優勝。翌年のオリンピックにも出場した。現在はロシア在住でカリーニングラード州レスリング連盟の副会長。ロシア協会はホームページで、かつてロシア代表争いをいしていたシュマロフの快挙を特集した。
同ホームページによると、シュマロフは2000年代中盤から最重量級のロシア代表争いをしたが、片方の耳が聞こえない状態で生まれた先天的な障害について、周囲は知らなかったという。そのうちに反対の耳の聴力も低下し、2015年世界選手権を最後に引退。補聴器を使うようになった。
2019年、「人間の身体能力は無限であることを証明する」という使命を胸に復帰を決意。2021年のブラジル・デフリンピック大会を目指して練習を再開したが、コロナで大会が延期。翌年はロシアのウクライナ侵攻によって参加できなくなり、3年後の東京大会を目指したという。
現在は、カリニングラードで聴覚障害のある子どもたちのレスリングへの取り組みを推進するプロジェクトに携わっている。今後についてを聞かれると、「子供達にレスリングを教えていきたい。今回、メダルを取ったことで、子供達にレスリングの素晴らしさを教えることができます」と話した。