1924年に始まった聴覚障害のある人の総合大会デフリンピック。レスリングも1961年に始まり、世界デフリンピック選手権も行われてきたが、両大会ともに日本選手が出場したことはなく、今大会が初の出場。男子グレコローマン130kg級に出場した曽我部健(日亜化学工業)が銅メダルを獲得。日本チームで唯一のメダルを手にし、後に続く選手の誕生を願った。
3位決定戦のセルゲイ・ドラハン(ウクライナ)との試合を5-1の接戦の末に制した曽我部は「一言で言うなら『最高』です。この大きな舞台で、これだけ多くの人が見てくれている中、金メダルではないですけど、最低限の仕事はしたかな、と。最高にうれしいです」と息を弾ませた。
相手選手の実績などはまったく知らなかったが、コーチが予選と敗者復活戦の試合から特徴をしっかりと分析してくれた。「思った通りの試合運びができました」と言う。指示された作戦は、大技を狙わず地道に攻撃し、ローリングで決めるというもの。
序盤に1点を先制されたものの、粘り強く攻めてテークダウンを取り、パシビティを与えてからのローリングでポイントを取って引き離した展開は、まさに思っていた通りの試合展開。全日本チームでもらつ腕を振るっている鶴巻宰コーチ(自衛隊)と湯元健一コーチ(大体大職)に感謝した。
前日の準決勝で負けたときは、「逃げてしまった」ことでのショックがあり、3位決定戦のあった2日目の朝まで、そのことがフラッシュバックしていたという。だが、コーチから「逃げないで闘おう。技術の問題ではなく、気持ちの問題」と言われ、「今度は絶対に逃げない」という気持ちになってマットに上がったと言う。
先天性の難聴があり、右耳はかすかに聞こえるが、左耳はまったく聞こえない。運動神経には恵まれ、中学までは野球に打ち込んだ。父がレスリングをやっていたことで、徳島・三好高校ではレスリングへ。当時の藤田隆和監督(現つるぎ高監督)は「両親から『耳を強打して、聴力が落ちるのでは…』と心配されました」と振り返る。
だが、「筋力がすごく、スピードもあった」(藤田監督)という卓越した運動神経は、レフェリーのホイッスルが聞こえないなどのハンディを乗り越え、2001年全国高校生グレコローマン選手権で優勝。同監督の母校・国士舘大へ進み、2003年世界ジュニア選手権(トルコ)に出場と実績を残した。その遠征では、この大会の鶴巻宰コーチ(前述)、ケーブルテレビとYoutubeの解説をしていた長谷川恒平・現青山学院大監督も出場。同じ1984年生まれのチームメートが、最後の現役選手を支えた(注=曽我部は1月生まれなので、学年は2人より1つ上)。
もっとも、全日本社会人選手権優勝などの成績を残して2017年にいったん第一線を退いている。しかし、2020年ころからデフリンピックの東京招致、それに合わせてレスリングの参加の流れができ、デフリンピック時には41歳になる曽我部の心に最後の闘志が灯った。
2023年に鹿児島で行われた国民体育大会(現国民スポーツ大会)に復帰して3位入賞と衰えぬ実力を発揮。同年の世界ベテランズ選手権(ギリシャ)にも出場して実力を戻し、この大会を迎えた。
同選手は大会の後半に行われたフリースタイルにも出場。敗者復活戦を勝ち上がって3位決定戦に進んだが、力及ばずメダルは手にできなかった。「悔しいですね…」と唇をかんだが、選手活動はこの大会で終わりと決めていた。あらためて問われると、「ないです。今は考えられないです。この大会にかけていましたので」と即答した。
「明日になったら、ころっと変わるかもしれませんが…」と苦笑いし、続行の可能性は「0」ではないようだが、自分が銅メダルを取ったことで、難聴の人でもレスリングができ、大会に出場できることを広められたことを自負。今後は、選手が増えていくなどデフ・レスリングの発展に貢献したい気持ちを吐露した。
曽我部をレスリングに引き入れた藤田監督(前述)は、徳島から上京してグレコローマンの両日、かつての教え子を熱く応援した。曽我部の耳に応援の声は「聞こえなかった」そうだが、その姿を見つけ、手がひらひらしている(サインエール)ことで熱心に応援してくれていることは分かった。「励みになりました」と言う。
藤田監督は「3位決定戦に進んだ選手が1人となり、自分がメダルを取らなければならない、というプレッシャーもあったと思います。そんな中、よく頑張ってくれました」と感無量。徳島へ戻って現在の教え子にその頑張りを伝え、奮起を促したそうで、「後に続く選手への最高の刺激になります」と言う。
デフ・レスリングの推進者の役目を持って「まだ続ける必要があるのでは?」との問いに、「自分は50歳で国体に出ました(2017年)。彼には、半分冗談ですけど『50歳まで続けろ』と言っているんですよ」と笑うが、「ここまでよくやった。今は『ご苦労様』と伝えたい」と、健闘をねぎらった。