ハンガリー・タタバーニャで行われた2025年世界ベテランズ選手権に出場した日本チームが10月12日、成田空港着のポーランド航空で帰国した。2選手が優勝し、2014年以来の金メダル獲得の伝統を守った。
岡田英雅監督(全日本マスターズ連盟理事長)は「大きなけがもなく、全員が無事に帰って来られたことがよかったです」と話すとともに、目標としていた金メダル獲得の伝統を継続できたことがうれしそう。マスターズ・レスリングの活性化によって来年以降も続くことを願った。
そのためには、家族や職場の理解が必要なわけで、「感謝の気持ちと努力を怠らず、みんなでマスターズのレスリングを盛り上げていきたい」と話した。
昨年の初戦敗退の屈辱をはね返し、6年ぶり2度目の優勝を遂げたDivision B(41~45歳)の藤本健太(三恵海運)は「この遠征に参加するにあたり、多大なるご尽力とご理解をいただいた三恵海運の髙田肇相談役、琴惠社長、社員の皆さん、レスリング班に深く感謝したいと思います。家族や、いつも応援してくれる同級生や同世代の仲間、日頃の練習に参加させていただいたいる関西大レスリング部の皆さん、自身の(運営する)IKUEIクラブにかかわっている保護者と選手の皆さんに深く感謝しています。この場を借りて、あらためてお礼を言いたいと思います」と、感謝の気持ちで遠征を振り返った。
試合のヤマは、準決勝で対戦した昨年優勝の米国選手。昨年の大会で闘うことはなかったが、両スタイルを制覇したこの強豪選手を目標に、1年間、頑張ってきたとのこと。「執念と根性と気合で勝つことができました」と言う。優勝の直後に静岡で行われた全日本女子オープン選手権のU12-46kg級で次女・陽華選手が優勝。優秀賞を受賞する朗報が入った。二重の喜びでの帰国に、「自分が勝ってバトンをつなげられて、よかった。約束通り、ラーメンを食べに行けます」とにっこり。
この大会の複数回優勝の日本選手は、八田正朗、勝村靖夫、伊東克佳の3度優勝を筆頭に、2度優勝が5人いて、その仲間入りを果たした(関連記事)。当然、3度優勝に並び、それを追い越す目標ができたわけだが、前回(2019年)の優勝はDivision A(35~40歳)のとき。今回の優勝でA、Bを制したわけで、AからE(56~60歳)までの“ベテランズの世界グランドスラム”のスタートを切ったことに着目。
「C、D、Eの制覇を目指したい。年をとっても目指せるものがあるのは、すばらしいことだと思います。また頑張っていきたい」と、長い目での飛躍を誓い、マスターズ・レスリングの発展に尽力していきたい気持ちを表した。
初出場で優勝したDivision C(46~50歳)62kg級の栗尾直樹(住谷道場)は「帰国した今は、ホッとした気持ちですけど、優勝したときは本当にうれしかったです」と振り返る。レベルがこれほどにまで高いとは思わなかったそうで、それだけに2回戦の米国戦で0-2とリードされながら、必死の思いで追いついて内容勝ちした試合を含め、「よく頑張れました」と自分自身を褒めた。
学生王者を経て1998年全日本選手権・男子フリースタイル63kg級で優勝。2000年世界大学選手権で3位の実績を持つ選手。2001年に所属先の宮城で行われた国民体育大会を最後に20年近くレスリングを離れたあと、8年くらい前に地元(茨城県鹿嶋市)に戻り、後進を育てるとともにマスターズ選手としてマットに戻ってきた。
昨年の大会で銅メダルを取った奈良部嘉明(筑西広域消防本部)と同じく、茨城・霞ヶ浦高で大澤友博監督の指導を受けた選手。同氏の葬儀ではかつての仲間と再会し、“強烈だったあの日”を語り合ったという。そのときは、まだこの大会の出場を決めてはいなかったが、熱血恩師の魂が乗り移ったのかもしれない。
ただ、世界一を達成したことで、現段階で来年の出場は視野にはないと言う。現在はキッズのみならず社会人選手も教えているので、この大会に出るマスターズ選手を見つけることであり、子供達に「夢と希望を与えること」が今後の目標。指導者としての手腕が期待される。