(上から続く / 文・撮影=布施鋼治)
1日中、レスリング漬け。星城高校レスリング部の瀬野春貴・第3代監督は、そういう男だ。本人も、そのことを否定しない。
「確かに、ずっとレスリングに携わっていますね。昼間は星城の高校生の練習がメイン。それを2~3回やる。毎週土曜日には星城で『スターアカデミー』というキッズクラスをやっているので、そこで指導をする。さらに愛知県内のクラブ・チームに行って一緒に練習したり…。そのあと、ようやく“飲みに行くか”という感じになりますね」
厳密にいえば、大半はレスリングで、指導が終われば多少の酒、といった方が正しいか。現在29歳。身を固めようなんて気持ちはさらさらない。「そもそも家にいないので。家には寝に帰るだけですね」
瀬野の指導を例えるならば、「情熱」の二文字がよく似合う。高校生にも中学生にも、さらには出げいこに訪れた選手にも熱心に細かく指導。口だけではなく、練習相手もする。打ち込み、そしてスパーリング。教える方が熱心ならば、教わる方も必然とそうならざるをえない。
では、いつから指導に目覚めたのか。その萌芽は、意外にも小学生のときだったという。「3歳から刈谷クラブでレスリングをやっていたんですけど、小6でキャプテンになった。指導者が忙しくて、自分で練習を仕切らなければいけないときがあった。そういう経験が積み重なっていった感じですね」
中学生になっても、瀬野は刈谷クラブでレスリングを続けたが、そこで決定的な出来事に遭遇する。「全体練習とは別に、本当に強くなりたいた人たちが集まって練習する日があったんですよ。でも、日によっては指導者が我々の面倒を見切れないときもあるじゃないですか」
そうなったら、自分たちで練習メニューを決めないといけない。誰かが指示して、全体の空気を引き締めないと、集まってやっている意味はない。そのメニューを決めて実行に移していくうちに、瀬野は指導のイロハの「イ」を肌で感じるようになった。
「指導するなら自分だけではなく、まわりにも厳しくしないといけない。振り返ると、あのあたりから指導者としての道は始まっていたのかもしれないですね」
高校は星城に進学した。クラブの二つ上の先輩がいたことが選んだ一番の理由だった。「中学のときに出げいこに行ったら、『あっ、ここだな』と思ったんですよ」
ほかに、何が決め手となったのか。瀬野は恩師である同校レスリング部第2代監督である岡田洋一の名をあげた。
「それこそ細かい技術指導なんてないんですよ。漫画の擬音みたいな指示が出るだけで(微笑)。でも、魂を鍛えるじゃないけど、先生からは本当にいろいろ教わりましたね」
岡田の指導の根幹にあった魂とは何か。それは岡田の口ぐせから探っていくのが適切かもしれない。
「レスリングだけをやっていればいいんじゃないぞ」「誰からも応援される選手になりなさい」
さらに、次の岡田の常とう句は今も瀬野の胸に根付く。「すべては、ひとつにつながっているんだぞ」
まだ高校生のとき。シンプルながら、哲学的ともいえる、それらのアドバイスの意味を、瀬野は「どういう意味なのか?」と首をひねることも一度や二度ではなかった。
「でも、本気でやっていたら、強くなるためにどうしたらいいのかを突き詰めていったら、“レスリングだけをやっていればいいわけじゃない”という意味は分かるようになりました」
具体的に言うと?
「レスリングで結果を残すためには、勉強も頑張らないといけない。生活面もきちんとしなければならない。そうすると、自然と勉強もしなければならない、という意識が芽生える。そうなればレスリングに本気になったときには勉強もしっかりできているし、巡り巡ってレスリングも強くなっている、ということです」
何かひとつ突出したら、ほかのものも全て底上げされるということですね?
「そうです。今の選手たちは、レスリングはそれなりに強い。でも、勉強で欠点(赤点)を取ってしまったり、提出物を出せなかったりしたら、その部分が悪いというより、レスリングを本気で頑張れていない証拠なんですよ。本気で頑張っているつもりでいるだけ。レスリングのことを本気で考えたら、自然と勉強の方のノルマもクリアできるはずなので。生徒には、『レスリングを頑張っている、と言っているけど、それはうそだ』と指摘することもあります」
瀬野は当初、高校3年生のインターハイで選手生活を終える予定でいた。「高校で完全燃焼して、大学では(日体大のような強豪ではなく)楽しくレスリングをやろうと思いました」
しかしながら、そのインターハイ個人戦では一生懸命頑張るつもりだったのに2回戦で敗退。「このまま終わっていいのか?」という迷いが頭をもたげ、日体大への進学を決意する。推薦入学を目指したが、それだけの実績はない。そこでインターハイ後に開催された全国高校生グレコローマン選手権を制し、その勢いで長崎国体も優勝を果たす。
「日体大ではグレコローマンで東京オリンピック目指して頑張るぞ」
固い決意を胸に大学に進学した瀬野だったが、脳しんとうなどもあり、大学3年でフリースタイルに転向。大学4年のとき(2018年)には全日本選手権70㎏級で2位となる。
「でも、東京オリンピックはダメだな。これ以上はちょっと難しい」
現役としての目標をあきらめかけたとき、もうひとつの夢を思い出した。「教員になって星城でレスリングの指導者になろう」
以前から岡田監督に「星城に戻って、指導者になってくれ」と頼まれていたことも、その進路を後押しした。「でも、入ろうとした年には空きがなかった」
元世界チャンピオンの成國晶子さん(東京・ゴールドキッズ代表)との縁で、日体大卒業後は同クラブで指導員として働く。「もう引退すると決めていました。でも、成國さんから『子供たちの刺激にもなるから、出てみたら?』と言われて出場した2019年全日本選抜選手権で優勝する。その勢いで出場したU23世界選手権(ハンガリー)では3位になった。
翌年、星城高に非常勤ながら空きが出たので、ゴールドキッズでの活動を1年で終え、故郷の愛知県にUターンした。「自分のステータスも上がったし、ゴールドキッズでの1年間の経験は大きかったですね」
55㎏級の八橋奏太朗は、そんな瀬野が塗り直した星城のチームカラーを気に入っている。「練習中はみんなしっかりやって、みんな切磋琢磨している。だけど練習が終わったら和気あいあいという感じ。その切り替えがすごい」
監督に就任した際、瀬野は10年計画を立てた。ゴールはもちろん学校対抗戦での全国優勝だ。星城高に戻ってきて6年目。折り返し地点を回ったので、快進撃はさらに加速するのか。「頑張るしかない。一番難しいところに来ていることはよく分かっていますが…。ただ、まだ部員たちは自立しきれていない。まだ弱冠やらされている練習もあるので、個々が自分に厳しくなれたときには松浦が語るあと一歩にだいぶ近づくと思います」
今春、星城に教師として赴任。レスリング部の内田奈佑・新コーチは瀬野をこんなふうに評した。「わたしの大学の先輩である花井瑛絵先輩は、三重県の朝明高校でオニギリを作っている(関連記事)。瀬野監督は人を作っている」
瀬野の指導を見て思った。「情熱こそ人を動かす」と。《完》