2025.09.04NEW

身体障がい者同士のエキシビションマッチを披露…第1回藤波朱理杯三重県少年少女大会

 第1回藤波朱理杯三重県少年少女大会の初日(8月30日、三重・四日市市総合体育館)、キッズ・レスラーの試合が始まる前、日本初ともいえるエキシビションマッチが組まれた。

 1976年モントリオール・オリンピック日本代表で、プロレスラーとして今も活動中の谷津嘉章中西茂登樹(ともに敬称略)と障がい者レスリングを披露した。谷津は糖尿病の悪化による壊疽で右下肢欠損(関連記事)、対する中西は大会の競技委員長を務める藤波俊一さんの教え子で、事故で右上肢欠損と異なるハンディを持つ(関連記事)。

▲右腕のない中西茂登樹(青)と右脚のない谷津嘉章とのエキシビションマッチが行われた=撮影・保高幸子

 2023年、谷津は日本しょう害者レスリング連盟を立ち上げ、そのアピールのためプロレスラーとしての活動のかたわら全日本社会人選手権で健常者と闘うなど、障がい者レスリングの存在を地道にアピールしてきた。

独自のルールが考案され、今大会でお披露

 障がい者同士の一戦は今回が初と思われる。谷津と中西さんは障がいの程度が異なり、10㎏もの体重差があったものの、そういうケースでも対戦できるように日本障がい者レスリング連盟は独自のルールを考案し、今回お披露目となった。

 マットカバーは、障がいの種類や程度によって最初の位置に差をつけるため、色別の同心円が描かれた特注のものが使用された。

 試合は中西が4点のアドバンテージをもらった形でスタート。第1ピリオド終盤には谷津からバックを奪い、2点を追加する。自由に動けない谷津はスタンドレスリングでは不利だった。第2ピリオドになると、谷津が中西をグラウンドへと誘い、バックを奪い返し2-6に。その後、谷津がもう一度バックをとって4-6まで追い上げたが、ここで試合終了のブザーが鳴った。

▲谷津が追い上げたが、中西が逃げ切った=撮影・保高幸子

 試合後、マイクを持った谷津は、闘ってくれた中西を敬った。「中西選手のファイティング・スピリットに、皆さん、拍手をお願いします」。それから障がい者レスリングの可能性についても言及した。

 「50年前には、女子レスリングもなければ、これから行なわれるキッズレスリングも(正式には)なかったと思います。我々、障がい者のレスリングも時代の中で絶対(必要)だと思います。今後わたしはこの競技をパラリンピックの正式種目にしたい」

 パラリンピックには、柔道は視覚障がい者柔道、テコンドーはパラテコンドーとして存在するが、レスリングは正式種目として採用されていない。谷津は「なぜパラリンピックにレスリングはないのか?」と強く訴える。

 「視覚障害者柔道は義足だとできない。腕がなくてもできない。一方、障がい者レスリングは(どんなハンディがあっても)できる」

▲最後は藤波俊一実行委員長が両選手をねぎらった=撮影・保高幸子

障がい者が体を鍛えるためには、レスリングが一番

 続けて谷津は障がい者がレスリングをやることでのメリットも力説した。「このスポーツを続けると、体幹が強くなる。障がい者が体を鍛えるためには、レスリングが一番合っているんです。リハビリに必要な体幹も鍛えることができる」

 本部席からこの一戦を観戦した藤波実行委員長は「本当に感動しました」と感想を述べた。「体にハンディがある方でも、レスリングに打ち込むことができる。中西さんは(地元の)いなべで実際に練習している姿を見ています。今後、障がいを持っている方でも輝ける舞台が少しでも増えたらいいなと願っています」

 谷津は今回のエキシビションマッチを、歴史的な第一歩と定義づける。「これからは障がい者レスリングのための本(マニュアル)を作りたい。トレーナーとか教える立場の人のための本です。それを作らないと、ルールを共有できないので」

 ルールは今後も試行錯誤が必要だと思われるが、障がい者レスリングでも、谷津は“すごいヤツ”になれるか。

▲障がい者レスリングの今後を話す谷津嘉章=撮影・布施鋼治