2025.08.12NEW

【特集】時代を50年先取りした福岡大、世界王者・田中忠道氏の遺志を受け継ぐとき(下)

《上から続く》


当時の根性練習を徹底的に否定した田中忠道監督

 世界王者に輝いた田中忠道監督の練習方法は、当時としては画期的なものだった。平成になってからも一部で続いていたと思われるが、手や足が出たり、怒号が飛び交って根性を求めるのが普通だった時代。カナダで2年間の留学経験を持つ田中氏は、それらを徹底的に否定。生前、「選手を殴ったり蹴ったりしたことは、一度もありません」と話していたが、レスリングの楽しさを教える練習に徹した。

 1993年の「月刊レスリング」の取材に、「日本での練習は、正直なところ嫌で嫌で仕方なかったんです。カナダでのレスリング活動は、楽しくて仕方なかった。レスリングって、こんなに楽しいものだったのかなと再認識しました」と答えている。根性論に支配されてた当時のスポーツ界とは違うやり方を導入し、西日本の学生レスリング界に一時代を築いた。

▲2012年12月の全日本選手権で、急性白血病と闘う福岡大・長島和幸監督の支援を訴えた田中氏。このとき、自身も肝臓の病魔と闘っていた

 その田中監督が育て、信頼して監督を任せたのが、この3月まで西日本学生連盟の会長を務めていた吉武行寛氏(現同大学GM)。長崎・島原工高を卒業し、三菱鉱業セメント(現三菱マテリアル)に就職したが、レスリングへの夢が捨てられず、福岡大の二部(夜間)に通いながらレスリングを続けた。「レスリングをもっとやりたい」という気持ちが強くなり、会社をやめて大学生に専念。一流企業を退職したことに田中監督が焦ったそうだが、「あのままでは人生に悔いが残ったと思います」と言う。

新入生はその練習に「びっくりしたと思います」…吉武行寛・元監督

 田中監督の指導を受けて1978年に西日本学生王者に輝いた吉武氏は、「高校時代、監督にしごかれ、たたかれて指導を受けてきたほとんどの新入生は、入部早々びっくりしたことと思います。しごきも体罰もなく、あるのは簡単な説明と、ただひたすらに練習される先生の姿のみです」と説明した。

 今では、多くのチームが取り入れている「レスリングを好きになってほしい」という練習を、50年も前から実行していたのが福岡大。1990年途中から田中氏が西日本学生連盟の理事長となり、2005年からは会長へ。吉武行寛氏が2021年から昨年度まで会長を務めるなど、連盟の運営にも尽力し、西日本レスリング界の中心的な役割をになうことができたのは、“田中イズム”による斬新な発想と企画力・行動力があったゆえだろう。

▲今年3月まで西日本学生連盟の会長を務めた吉武行寛氏

ルーズな選手は、いざというときに力が入らない

 現在の藤井雅人部長はサッカー出身で、スポーツ社会学が専門。田中氏と研究室が同じだったことから、田中氏の生前、「オレが退職したら部長を頼むよ」と言われた。真剣に考えていなかったそうだが、思いもかけずに他界され、吉武監督から「田中先生の遺言じゃないですか」と言われて決意し、12年が経った。

 レスリングはまったくの素人だが、サッカーでドイツ留学の経験があり、コーチングについては国際的視野を持っている。教えてきたことは「勉強とスポーツの両立」。授業も出ずにレスリングだけをやる大学生活では意味がないことを強調し、「大学から応援されるクラブになりなさい。それには、勉強も生活もしっかりすることが必要」と言い続けてきた。

 サッカーも同じだが、ルーズな選手は、いざというときに力が入らないという。近年は優勝に見離されているレスリング部だが、「まじめな学生が多いので、地道にやっていけば、結果がついてくると思います」と期待する。

▲田中氏の遺志を受けて部長を引き受けた藤井雅人氏。2016年のリーグ戦優勝のときは胴上げを受けた

 サッカーというメジャースポーツに接しているので、レスリングとの違いを感じることも多い。サッカーはどの大学も部員数が多く、福岡大も100人近くいる。「プロになりたい」という高い意識を持って入ってくる選手も多い。「え、プロ?」と思うようなレベルの選手であっても、本気に考えているケースもあるそうだ。

 大きな夢を持つことは、悪いことではない。さほど強くないチームからすごい選手が出て、Jリーガーになったりするのがサッカー。競技人口が多く、あこがれる華やかな舞台があるスポーツならではの意識の高さがあり、そこから来る努力が貴重。観客が多く、熱い応援を受けて実力をつけていくのがサッカー選手。レスリングは、その部分でもっと努力が必要と考えている。

 レスリングは部員不足で悩むところが多い。「同じ相手とだけ練習をしていては、マンネリになって実力アップが望めないでしょう」と話し、サッカーではほとんどない他チームとの合同練習は絶対に必要と訴える。

▲少数精鋭でやってきた福岡大。“田中イズム”で復活を目指す

九州で最人気の大学、レスリングでの再浮上が待たれる

 池松監督は福岡県生まれで、福岡・三井高校卒。国体2位の実績で日体大に進んだが、福岡大は高校時代に何度も練習に参加した馴染みのある大学。高校の先輩の多くが福岡大へ進んでいた。高校の先輩ではないが、全日本学生選手権で優勝して東のチームと真っ向から闘った選手(1998年の葭田隆夫=北九州高卒)もいただけに、今の成績には歯がゆさを感じる。

 先日、田中忠道氏の13回忌の「しのぶ会」があり、100人ほどのOBが集まった。現状に物足りなさを感じている声が多かったと言う。同大学の卒業生ではないが、福岡県生まれの監督として、初代監督である田中氏の遺志を再び咲かせてほしいところだ。

 リクルート進学総研が、来年3月卒業予定の高校3年生に対象にインターネットで実施した調査によると、志願したい大学の九州・沖縄エリアの1位が福岡大で、2位の熊本大、3位の九州大(ともに国立大)を大きく引き離した。

 九州で最も人気のある大学が、レスリングで再浮上する日が待たれる。

▲練習に参加した全日本選抜王者・長谷川敏裕(三恵海運)に挑む清水憲人(2年=宮崎工業卒)

▲世界ジュニア選手権出場、西日本学生選手権優勝の経験もある吉田光志コーチ

▲アジア王者・田南部魁星(ミキハウス)を目指し、記念Tシャツをもらった岩澤泰紀(2年=125kg級)

《完》