学校対抗戦で1977年以来、48年ぶり2度目の出場を果たした大泉(群馬)は、初戦で苅田工(福岡)に3-4で黒星。インターハイ初勝利はなからなかった。
チームスコア3-3で迎えた125kg級の丹山世梛は92kg級の選手。学校対抗戦では80kg級の上が125kg級なので本来より1階級上での起用となり、厳しさがあった。正選手1人が計量失格し、負傷者もいてベストメンバーではなかったことも勝利を呼びこめなかった要因だったようだ。山本悟監督は、まず「現状では力を出し切ったと思います」と選手をねぎらった。
赴任して10年目。館林の牙城を崩せるか、というときも勝ち切れなかったそうで、「(チームとして)48年かかりました。部員数もそろい、やっと出場できたことはうれしい」と、監督として初の晴れ舞台に参加できたことの喜びを前置きしたあと、「前回も1回戦負けと聞いています。なんとかして1勝したかった。その面では残念な気持ちです」と無念さを表した。
最近の常連だった館林を破ってのインターハイ出場なだけに、「群馬の強さを全国に見せつける、というより、力を出し切らなければならなかった」とも話す。それだけに、「悔しさの方が強いです」と続けた。
48年間を振り返ると、館林、西邑楽、関東学園といった全国トップレベルを占めた強豪チームの壁があった。山本監督に就任してからの10年間では、市立太田も強く、大泉は部員が足りずに学校対抗戦に出場できない年もあったという。
そんな状況を乗り越え、現在の部員数は25人(他にマネジャー4人)。館林より多いが、半分くらいは高校に入ってからレスリングを始めた選手で、経験者が多い館林に比べるとハンディがある。「素人集団を根気強く育ててきました」との言葉に実感がこもる。
山本監督は西邑楽高校から日体大に進み、2003年学生王者などの実績を残して岡山国体を控える岡山県の教員へ。2005年世界選手権(ハンガリー)には「烏城高校教員」の所属で出場し、岡山に永住するつもりだった。しかし、両親が体を崩したこともあって群馬県の教員へUターン就職。地元のレスリングに貢献することになった。現在の赴任先は母校ではないが、「自分の勤めている学校を強くしたい」との思いで頑張ってきた。
県内にはレスリングのある学校が近い距離に固まっているので、合同練習もしやすい状況。高崎市にある育英大が高校の練習参加も受け入れてくれ、高校の合同練習のときには大学選手がボランティアで参加してくれたりもする。2029年に予定されている国民スポーツ大会へ向けて、県をあげての団結や盛り上がりもあるのが現状だ。
一方、レスリング部のある高校が固まっているので、選手獲得の面ではライバル関係。公立の大泉高の場合、合宿所や運動部に対する特別な支援はないので、部の特色をアピールして経験者を集め、入学後に取り組む選手を増やしていくしかない。選手には「この1年で終わらないように」と伝え、まず3年連続で県代表になることを目指すという。
群馬県の高校では、館林から1964年東京&1968年メキシコ金メダルの上武洋次郎、2012年ロンドン・オリンピック銅メダルの松本隆太郎、西邑楽からは1996年アトランタ&2000年シドニー・オリンピック代表の川合達夫が生まれているが、大泉は世界を5度制した高田裕司(1976年モントリオール・オリンピック、世界選手権4度=日本協会元専務理事)の母校。
48年ぶりのインターハイ出場が決まると祝福があったそうで、「(部員不足のときもあったが)偉大な先輩の出たチームの火を消すわけにはいかないです」と山本監督。日本レスリング史上最高の選手を生んだ高校が、48年ぶりのインターハイ出場を機に飛躍を目指す。