2025.08.01NEW

【2025年インターハイ・特集】「やっと、という一言。本当にうれしいです」…学校対抗戦優勝の自由ヶ丘学園・田野倉翔太監督

 自由ヶ丘学園(東京)花咲徳栄(埼玉)の関東決戦となった2025年インターハイ学校対抗戦・決勝は、第1試合から自由ヶ丘学園が4連勝。あっさりと勝負を決め、1976年に同好会でスタートして以来、50年目にして初の全国一を達成した。

▲チーム発足50年目で、初の全国一を達成した自由ヶ丘学園選手と保護者・支援者

 3月の風間杯全国高校選抜大会では、自由ヶ丘学園が3回戦で日体大柏(千葉)に2-4で敗れ、花咲徳栄も準決勝で日体大柏に3-4で敗れた。結果と内容からして、わずかに花咲徳栄の方が上だった。しかし、自由ヶ丘学園には強力な新人が加入し、チーム力は強大化していた。準々決勝で日体大柏と対戦し、第1試合から4連勝しての6-1で勝利。この時点で3月とは違う強さを見せていた。

 決勝も、第1試合の51kg級で前田悠樹が終了間際にテクニカルスペリオリティで勝ち、55kg級の坂本広主将がフォールで勝つと、もう手がつけられなかった。60kg級の1年生、薬野柑太がポイント勝ちで続くと、60kg級でやはり1年生の齊藤巧将も10-0のテクニカルスペリオリティで勝ち。あっという間に勝負を決めた。

 齊藤は、第1ピリオド終盤でスコアが10-0となり、この時点で応援席へ向かって勝利の雄叫び。しかし、チャレンジの結果、最後の2点が場外と判定されて試合再開。いったん解放された気持ちを立て直すのは難しかったのか、第2ピリオドにもつれ、ややもたついてしまったが、5分3秒、10点差をつけ、この試合2度目のガッツポーズ。思わぬ“アクシデント”に遭遇しながら、昨年の中学二冠王者(全国中学生選手権、全国U15中学選抜大会)の実力を発揮してチームの優勝を決めた。

▲チーム3連勝のあと、第1ピリオドで10点差をつけた65kg級の齊藤巧将。チャレンジで判定が変わり、このポーズは“幻”となったが、最後はテクニカルスペリオリティで勝利

結果では実力差があったように見えるが…

 全試合終了後、55kg級の選手だった田野倉翔太監督の体が宙高く舞った。あまりにも高くまで上がり、周囲はハラハラしてしまう胴上げだったが、125kg級で無敵の強さを誇るリボウィッツ和青や、ヘビー級プロレスラーである父の遺伝か筋肉隆々の永田裕生(80kg級=1年)らががっちり受け止めて心配はなし。

 「圧倒的に強かったですね?」との問いに、「そんなことはないです」と謙遜した同監督は勝因を「最後まで攻め続けたことだと思います」と分析。自身はセコンド席に“座っているだけ”とのこと。「選手が頑張り、その結果が優勝です。私の力は0.1パーセントくらいかな」と振り返った。

▲宙高く舞った田野倉翔太監督

 1回戦の星城(愛知)は選手を温存したこともあり、チームスコア3-4だったが、2回戦からは5-2以上のスコアで勝利。125kg級のエース(リボウィッツ和青)がマットに上がるときには、どの試合でもチームの勝利が決まっていた状況だった。それでも、「結果を見れば(実力差が)開いているような印象を持つかもしれませんが、1試合、1試合、必死でした。選手が自分の力を存分に出してくれました」と言う。

 ふだんの練習時間は決して長くなく、質を高め、押しつけることのない練習をやってきたと言う。東京都予選で春(全国高校選抜大会)の王者・文化学園大杉並を破ってのインターハイ出場決定。その時点で全国制覇が視野に入っていたと思われるが、「そんなことはないです。今年は、どこも強い。戦国時代みたいな状況でした」と話し、気を抜くことなくここまでやってきた。「その中で、どのチームを最も意識していましたか?」との問いにも、「全部です」と即答した。必死の連続での優勝だった。

▲チームを支えた田野倉翔太監督(左)と奥山恵二コーチ

1年生が3人のチーム、来年も優勝候補の筆頭か

 田野倉監督は、同高時代の2008年にインターハイ3位を経て国体グレコローマンで優勝。日体大~クリナップへ進んで全日本王者、アジア選手権優勝、世界選手権代表と数多くの表彰台と栄光を手にした選手だった。だが、インターハイの学校対抗戦は出場したことがない(当時は大森学園や関東一が出場)。「個人競技ですけど、団体での優勝は別格です。個人で勝てば、その選手の強さが評価されますけど、団体で勝てば、そのチーム全員が評価されますよね」と言う。

 71kg級に出場した髙木凌は高校に入学してからレスリングを始めた選手。決勝で黒星を喫したが、「彼を含めて、全員で頑張ってきた証明が団体優勝です」ときっぱり。だからこそ、どの学校も学校対抗戦での勝利にかけてくるんじゃないでしょうか」と、その価値を話し、「私は(出場の)経験がないので、選手がうらやましいです」と続けた。

 監督就任8年目。2023年2月の関東予選では日体大柏を5-2で破って優勝し(関連記事)、全国高校選抜大会の優勝候補の筆頭と考えられたが、そのときでも優勝はできず、もどかしい時期もあった。「やっと、という感じですね。やっと、という一言。本当にうれしいです。選手に感謝です」と心からの気持ちを表した。

▲応援席にあいさつする選手

 優勝は「毎年、狙えるものではない。取れるときにしっかり取れてよかった」と言うものの、1年生が3人というチームからして、来年も優勝候補の筆頭になることは間違いない。

2年前の悔しさを忘れなかった坂本広主将

 チームをけん引してきた坂本広主将は、決勝の2試合目で練習で力を入れてきた“またさき”からのフォールで優勝に貢献した。「ずっと練習してきた技でフォール勝ちできて、とてもうれしい。1日目、動きが悪かったけど、2日目にばん回できてよかった」と振り返る。

 2年前の札幌インターハイでの屈辱は、今も胸に残っているという。準決勝で鳥栖工と対戦し、51kg級の坂本、125kg級のリボウィッツの2人が敗れ、チームスコア3-4で敗れて決勝進出を逃した。2人のどちらかが勝っていれば決勝に進めた状況。1年生で抜てきを受けながら、ともにこたえられなかったことが情けなかった。

 「あの悔しさを、ずっと心に置いて練習してきました。あの悔しさを晴らすため、学校対抗戦で優勝するため、チーム一丸となって練習してきました」と、ここまでの道を振り返った。田野倉監督と同じで、都予選で春の王者を破っても「優勝は見えていませんでした。どこも強いですから。だれもが天狗にならなかったことがよかったと思います」と振り返った。

▲得意技のまたさきで勝負を決め、主将の責任を果たした坂本広(55kg級)

 最後を守るリボウィッツは、個人では数多くの表彰台の一番高いところを経験しているが、団体優勝の味は「まったく違います。めちゃめちゃ、うれしい」と第一声。自分だけが勝っても優勝できないのが団体戦。「田野倉先生を信じ、チームを信じ、同期のキャプテンを信じ、やってきた成果です」と振り返る。

 試合のときはチームの勝利が決まっていた状況ばかり。「自分が勝ってチームの勝利を決める、という状況も考えていたんですよ。今年は1年生が強いので、そんな状況がなかったですね」と苦笑い。2028年ロサンゼルス・オリンピックに出場するためには「高校生には負けていられない」と話し、翌日から始まる個人戦での2年連続優勝を見据えた。

▲チームの基礎をつくった奥山恵二コーチも胴上げの祝福を受けた