(文・撮影=布施鋼治)
体育館に入ると、ムアッとした空気が肌にへばりついた。冷房はない。何台かの扇風機が回っているだけだ。みるみるうちに汗が吹き出していく。
7月中旬、京都府京丹後市網野町にある丹後緑風高校レスリング部は、来るべき試合に向け、各自が最終調整に励んでいた。高校生の部員に交じり、中学生や小学生も交じって練習している。小学生は基本火曜と金曜夜が練習日に設定されているが、もっと体を動かしたいと希望する者は高校生や中学生に交じって練習している。
全国少年少女選手権、国民スポーツ大会予選、インターハイ、さらにU17世界選手権を控えた選手もいるので、練習は最初からピリついていた。体育館の半分は同高の男子新体操部が占有していたので、絶妙なコントラストを描いていた。
吉岡治監督は「きれいに取れなくてもいいんだ。汚く取っても勝てばいいんだ」とゲキを飛ばす。主にキッズや女子を担当している正田絢子顧問も「あきらめたら、フォール負け。それでも後悔せんのか。泣いたら、何か戻ってくるのか」と、選手に真剣なまなざしを向けながら指示を送っていた。
日焼けして退色した大会ポスターや記念写真だけではない。網野丹後の練習風景は、昭和のスポ根のムードを少なからず漂わせていた。
正田顧問は「ここはサファリパークのような環境ですから」と笑う。「夜になると、鹿、いのししは当たり前のように出る。一度、運転中の車に横から鹿に追突され、高額の修理代が必要になったことがあります。ここは、新潟県十日町市の山の中にあるレスリングの合宿所に近いものがあります」
京都といえば観光名所というイメージがあるが、日本海に面した網野は“もうひとつの京都”というべきロケーションだ。丹後緑風高の前身である網野高校を卒業し、昨年のパリ・オリンピック男子フリースタイル74㎏級で銀メダルを獲得した高谷大地(拓大~現自衛隊)は「僕が高校生の頃は町にコンビニが一軒もなかった」と証言する。「今は学校の前にコンビニがオープンしたけど、昔は本当に何もないところでした」
そんなところにある高校に、吉岡監督や正田顧問にレスリングを習いたくて全国各地から生徒がやってくる。主将の江口翼(3年)は千葉でレスリングを始め、その後、東京のAACC(阿部裕幸代表)へ。高校入学を機に網野にやってきた。
「先輩が網野に進学していることを知り、自分もここに来れば変われるきっかけになると思いやってきました」
遊ぶところもないので、網野に越境してきた効果は絶大だったという。「圧倒的にレスリングに携わる時間が増えた気がします」
今春、丹後緑風高校に入学したばかりの牛窓勝心(1年)は、中学時代は神奈川県のNEXUS YOKOSUKA(勝目力也代表)を拠点に練習していたが、高校はあえて丹後緑風を選んだ。
「自分のレスリングは攻めるスタイル。丹後緑風も攻めるレスリングを教えてくれるので、3年間ここで練習すれば、自分のスタイルをもっと伸ばせると思ってやってきました」
とはいえ、都会で育った牛窓にとって網野での生活はカルチャーショックの連続だったようだ。「何て言うんですか…。建物が少ないし、空いている土地が多い。一時はホームシックになったけど、今はもう大丈夫です」
丹後緑風はインターハイの京都予選で、3月の全国高校選抜大会3位の京都八幡に勝って、インターハイ出場権を手にした。同大会での活躍が期待されていた牛窓や65㎏級の大川光紀(女子65kg級=母・紀江さんは世界選手権代表&アジア・チャンピオン)はU17世界選手権(ギリシャ)出場のため欠場となるが、吉岡監督は「表彰台を目指そう」をスローガンに選手たちに気合を入れていた。
「(お互いに順調に勝ち上がれば、)3回戦で当たる可能性が高い大体大浪商との一戦を乗り切れば、表彰台も見えてくる」
午後6時を過ぎると、いきなり風が吹いてきた。なんて心地よいのだろう。体に付着した汗が少しずつ乾いていく。いきなり風が吹いてきた理由を、正田は「浜風ですよ」と教えてくれた。「すぐそこは海なんで。髙橋夢大(日体大~現三恵海運)は、ウチにいた頃はよく魚釣りに出かけていましたね。静岡県出身の髙橋は釣った魚を自分でさばけるんですよ」
丹後緑風という校名には「浜風のように新たな教育の風を起こしてほしい」という願いが込められているという。
インターハイでも浜風を吹かせ。