別府や湯布院などの多くの温泉地が点在する大分県。レスリングの歴史は、1966年の大分国体へ向け、1962年に県協会ができ、佐伯高校と佐伯農業高校、遅れて中津高校にレスリング部ができたことに始まる。1976年モントリオール・オリンピック金メダリストの伊達治一郎(佐伯農高~国士舘大卒)が生まれるなどしたが(1972年ミュンヘン・オリンピックにも出場)、国体が終わると低迷の期間を迎えた。
1999年に勝龍三郎氏(1995~97年全日本王者)が日本文理大学附属高校に赴任してレスリング部の指導へ。翌年、“親”でもある日本文理大に部をつくり、高校から大学に続く一貫強化で再興を目指した。2009年に創部10年目を迎えた日本文理大が西日本学生秋季リーグ戦を制覇。順調な滑り出しだったが、その後、優勝から遠のいてしまい、今年の春季リーグ戦は二部リーグでの闘い。優勝を逃し、一部復帰は今年秋季の課題となった。
比江島研吾監督になって3年目。一部復帰、さらに覇権の奪還へ向かう日本文理大を追った(取材・撮影=保高幸子)
大分県でレスリング部のある大学は1校。大会の度に大阪や東京へ遠征する苦労は、九州の大学に共通すること。常に遠征を経て大会に臨むので、わずかであっても体力を消耗して闘わねばならないハンディもある。
そんな苦労を乗り越え、最近では掛水力(男子グレコローマン77・82kg級)と二宮健斗(男子フリースタイル57kg級)が西日本学生選手権3連覇を達成(両スタイルにまたがって4連覇)。
全日本学生のレベルでも、二宮が全日本学生選手権・両スタイル3位、全日本大学グレコローマン選手権2位を経て、今年6月の明治杯全日本選抜選手権ではグレコローマン55kg級で3位に入賞(所属は星和工業へ)。長野佑利が昨年の全日本大学グレコローマン選手権63kg級で2位など、西日本を越えて通じる選手が生まれている。
大会参加には遠征費がかかるわけで、「親の負担もかなりになるのでは?」と心配したくなる状況だが、比江島監督は自信を持って言う。「大学からしっかり支援していただいていますので、心配はいりません」。
大学から強化スポーツ部に指定されており、金銭面でのサポートは十分だという。親が経済的な負担を心配することなく子供を預けられるのは大きな魅力だろう。支援は遠征費だけではなく、練習環境にも及んでいる。レスリング場はエアコン完備で(附属高校も同様)、そばにトレーニング場もあり、練習に打ち込める環境だ。
住まいは、1棟のアパートをレスリング部員が1人1部屋ずつ住むので、従来の運動部の寮のような集団生活ではなく、プライベート空間がある。「今の子は、こちらの方を好むのではないでしょうか。これもウチのアピールポイントですね」と話す。普通のアパート・マンション住まいではなく、食堂部屋があって専門の調理師による朝夕の食事が提供されるというから、スポーツ選手に必要な栄養補給も十分だ。
今年の部員数35人は、西日本では九州共立大に続く選手数。大学からの心強い支援と素晴らしい環境のもと、比江島監督がまず目指すのは、西日本学生リーグ戦での王座奪還だ。
同監督は、日体大を卒業後、地元(宮崎県)で教員採用を目指して働いていたあと、2018年に日本文理大のコーチに就任。2023年に後藤秀樹監督からバトンを受けて監督に昇格し、チームを見てきた。
部員が多いと言っても、エリートが集まるチームとは違い、技術レベルの高低がある。入学後にレスリングに取り込んだ選手はいないものの、高校で九州トップレベルだった選手もいれば、県大会を勝ち抜くことのできなかった選手もいる。同じ目標を持たせ、同じような練習をさせるわけにはいかない。
比江島監督は「それぞれの選手ごとに目標を持たせ、目指させ、レスリングを好きになってくれるような練習を心がけています。いかに意欲的に、目の色を変えてできるかの練習、それが継続できるチームを目指しています」と言う。そんな中、朝練習のない日でも練習をする選手もいれば、授業の合間にトレーニング場で汗を流す選手もいて、選手のやる気を感じることが多い。
「やらされる練習ではなく、自分からやる雰囲気ができつつあるような気がします」。現役ばりばりで実績もある二宮健斗(前述)がコーチ役としてサポートしてくれるのも心強い。毎週土曜日は附属高校と合同練習が基本で、大学選手が指導を兼ねて高校へ行くこともあり、刺激し合っての相乗効果も期待している。
目標を聞くと、「日本一になる選手を作ること」と即答したのは日体大の卒業生らしいが(日体大・松本慎吾監督は「世界一を目指す」だが…)、チームとしての直近の目標は一部リーグへの復帰だ。今年春季は二部リーグでの優勝を逃したものの、「一部リーグで勝負できる力は間違いなくある。自分の持っている実力をしっかり発揮できるようにしたい」と言う。